キャスパーの書庫

キャスパーです。 大好きなアニメの妄想モリモリの二次創作小説をぽつぽつと書いていこうと思います。 アニメ全般大好きなので、広く繋がっていけたらいいな。

何がパッピーハロウィンだ、クソ野郎

 

 バーリントの街の空気は少し乾燥し、唇のかさつきがそれを感じさせていた。季節は夏から秋へ変わり、朝晩は長袖一枚では少し心もとないくらいだ。夏の暑さにうだっていた時は、“早く涼しくなってくれ”と願っていたのに、今ではあのジリジリとコンクリートを焼き付ける太陽がほんの少し恋しくなってきた。
 街中にタバコ屋を営むモジャモジャ頭の店主は、もうそんな季節かと、その一際目立つ頭をポリポリと搔きながら、目の前のピンク髪の女の子をに視線を移した。
「ほら、もじゃもじゃにもしょーたいじょーつくってやった!」
「招待状ねぇ」
 渡された招待状には場所や日時の他に、仮装してくること、お菓子を沢山持ってくるなどの必要事項が書かれているらしい。
「かそーしてこないとはいれない、あとしょーたいじょーわすれてもはいれない」
「へぇ~本格的だなぁ、まぁ残念だけど俺は行かないぜ」
「え、なんで⁉」
「なんでって俺は暇じゃないんだよ、いろいろやることもあるし」
「ただでおかしもらえるおいしいいべんとなのに…」
 まぁ子供からしたらそうだろう。面白おかしく仮装して、魔法の言葉を言えば大人たちからお菓子がもらえるのだから。しかし大人は違う、もうお菓子をもらう側でもないし、お菓子をもらって喜ぶ年でもない。フランキーは、お前ら家族だけで楽しめばいいじゃないか、と気だるそうにいう。
「もじゃもじゃはろうぃんきらいなのか?」
「別に好きでも嫌いでもねぇよ、ていうかお前ハロウィンがどういうものか知ってるのか?」
「おとなからおかしもらいほうだいなひ」
 予想通りの回答をしたアーニャに、少し長くなるけど…と前置きをし、ハロウィンについてできるだけわかりやすく話始めた。

 

 そもそもハロウィンとは、古代ケルト人の儀式「サウィン祭」という秋の収穫祭が起源と言われており、古代ケルト歴では、10月31日が1年の終わりの日とされていた。 この日の夜はあの世とこの世の境い目がなくなり、死者の霊が現世の家族に会いに来ると信じられていたとか。その時、先祖の霊だけでなく悪魔や魔女、さまよえる魂なども死後の世界からやって来るため、 人々はそれらと同じ格好に仮装して仲間だと思わせることで、悪い霊から身を守ったとか。

 

「こわいおばけいっぱい…」
ガクガクと震える様子を見て、少し脅かしすぎたか?と心配になり話を戻した。
「そんで、そういう怖いお化けが家の中に入り込まないように、お菓子を渡すことで帰ってもらったってわけだ、要は魔除けだな」
「なるほど!じゃこわいおばけこないように、おかしいっぱいもらわなきゃ!」
 こいつ全然わかってねぇな、とアーニャをチラッと横目で見たが、まぁ別に大した問題じゃないと、めんどくさくなったフランキーはこの問題を放置した。
「まぁそんなの言い伝えみたいなもんで、実際会いに来る霊もお化けもいないけどな」
「さびしいやつだな」
「うるせーよ!どうせ俺は霊にも会いに来てもらえない寂しいやつだよ!」
 まぁ俺に会いに来る霊なんてだいたいろくな奴じゃない。子供のころの事なんてそう覚えてもいないし良い記憶もない。その後は戦争に駆り出されて嫌々走り回る日々だったから、仲の良い奴なんているわけもない。会いに来るとしたら裏切って逃げた俺を恨んでる奴くらいだろうな。そう思うとつくづくハロウィンなんてどうでもいい、とフランキーは文句の代わりに溜息をついた。
 珍しくフランキーの過去を垣間見たアーニャだったが、難しいことはよくわからなかった。ただフランキーがハロウィンパーティを楽しめるように、ちちにごちそうを用意してもらおうと思った。
「もじゃもじゃ、おかしいっぱいもってこいよ」
そう言い走り去って行った後ろ姿を見えるところまで見送ると、渡された招待状に目を向け笑った。
「汚ねぇ字だな、なんて書いてあるのか難解すぎるだろ」

 

 

 

 以前、情報屋が一人消されたことがあった。
 別にこっちの世界じゃ珍しいことではないが、おかげで以前より情報収集するのが一層難しくなったそうだ。裏稼業は“カオが物言う世界”だ、というフランキーにとって、この問題は一朝一夕でどうこうなるものではないし、下手をすれば次は自分が…と思うことも少なくはなかった。
 喫茶店で昼食を食べた帰り道、趣味の発明品の部品を買おうと街をぶらぶら歩いていると、その間にも情報は山のように転がっている。5番街の洋服店が潰れて空き店舗になったとか、4番街の洋菓子店に弟子が入ったとか…。
 街中がハロウィンの雰囲気で彩られ、ショーウィンドーにも可愛らしいハロウィンの小物やお菓子が飾られている。行けたら顔を出すか、くらいにしか思っていなかったが、綺麗に並べられたお菓子たちを見ていたら、ついアーニャにお菓子をあげたらどんな反応をするかと想像してしまった。
 そんなの想像するまでもない。と少しだけ頬を緩ませると、一応買っておいてやるか、と呟き店内へ入って行った。

 

 店の入り口正面にはお菓子コーナーが特設されていて、目玉キャンディや指先クッキー、カボチャのマフィンなどが山積みになっていた。女性客や子供連れが多い店内で、男性一人というのは少し目立ってしまうかと危惧していたが、みな目の前の色とりどりのお菓子に夢中だった。
「どれも美味そうだけど、どうせなら面白いもんがいいよな。この目玉キャンディなんて見たらアイツ絶対びっくりするぜ。お、このドクロチョコもなかなかいかすな。いっそのこと全部怖い系のお菓子にしてやろうか、いや、さすがに怖がらせすぎか?」
 ぶつぶつと独り言を言いながらお菓子コーナーを物色する姿は不審者さながらだったが、時折浮かべる優しい笑みがそれをなんとか中和していた。
結局キャンディやらクッキーやらと気づけば沢山買い込んでしまい、さすがに多すぎたかと考えていると、ハロウィン用の衣装コーナーの前を通りかかった。
「そういえば仮装もしてこいって言ってたよな、ちょっと見ておくか」
 そういい辺りの商品を見渡すと、可愛い猫耳やナース服など女性用の衣装が多くみられ、独身男性彼女無しがうろつくには先ほどのお菓子コーナーよりも少々難易度が高いようにも思えた。店内の奥の方には男性用の仮装衣装も見えるのだが、そこへ向かう一歩が踏み出せず、フランキーの心中は荒れていた。
 
 少し離れたところにいる若い女の子二人組がこっちを見て笑っているように見えるのは気のせいか⁉ 店員が場違いだと言わんばかりに俺を蔑んだ目で見ているのは気のせいなのか⁉ くそっ!恐るべしハロウィン!なんて難易度の高いミッションなんだ!こういう時黄昏ならうまくやってのけるんだろうけど、そんなのイケメンだから許されるのであって俺が同じことやってもどうせダメなんだろ⁉ 何がハロウィンだ、クソ野郎!やってられるか!別にパーティなんて参加しなくてもいいし、最初から参加する気なんて無かったし!このお菓子は喫茶店のあの子にあげればいいもんね!

 

 そう心の中で一通り文句をぶちまけると、店内に背を向けた。
「はぁ~余計に疲れちまったぜ。最初から俺には無縁なものだったんだよ、誘われたからって律儀に行くこともないだろう」
 そう言いながらも足は重く動いてくれない。自分に招待状なんて寄こしたアーニャの顔がどうしてもちらついてしまう。行かなくて後で何か言われても面倒だなとか、せっかくだしお菓子くらい渡すか…などとごちゃごちゃと考えること数分、フランキーは決心したかのように再び店内の方へ体を向けた。
「あぁもうめんどくせぇ!うだうだ考えるのはやめだ!行くよ!行ってやるよ!どうせならアイツが泣いてチビるくらい本格的な仮装をしてやる!大人の力を舐めるなよぉ!」
 大きな独り言で周りの客が若干引いていることなどには目もくれず、並べられたナース服の横を通り過ぎて行った。店内には衣装以外にも小物が多く取り揃えられていて、メイク道具や血糊など多種多様。その種類の多さにフランキーは変装にも使えるのではと興味深々、そして数十分後に戻ってきたその手には、さらに大きな袋を下げていたとか…。

 

 「結構買っちまったな、いやーあそこまで種類が多いと思わなかったぜ。帰ったら早速使ってみるかな」
 思わぬ収穫物に心躍りながら帰路へとつくフランキーだったが、その表情は次第に曇っていった。突然ふらっと興味もない店に立ち寄ったり、わざと人混みの中を歩いたり、ウインドウのガラスで髪を整えたりするが、やはりフランキーの表情は変わらなかった。それどころか心中では焦りすら覚えていた。

 

 “誰かに見られている気がする”

 

 バレないようにあたりを見渡してもそれらしき人影は見えなかったが、不安はぬぐえなかった。人の多い通りを歩き、遠回りしながら振り切ろうと頭に地図を思い浮かべると、手にしていた荷物を強く持ち直した。
 出来るだけ角を曲がって死角を作ろうと、マンションの立ち並ぶ通りへ曲がった時だった。突然誰かに呼ばれた気がして立ち止まると、視界の上から下へ何かが落下したのが見え、パリンという破裂音と共に、近くにいた女性の悲鳴も一緒に聞こえた。
 フランキーの足元には割れた鉢植えと飛び散った土と花が散乱しており、少し遅れて頭上のマンションから落下してきたものだと認識できた。あと一歩足を踏み出していたら、この鉢植えは自分の頭を直撃していただろうと思うと身震いがした。慌ててマンションの上の方を見上げるがそこには人影もなく、乾いた秋空が見えるだけ。ただの事故…とは思えないが、フランキーは足早にその場を去った。
 俺の考えすぎか…たまたま鉢植えが頭上から落ちてきただけ、そうそれだけだ。何十年も生きてればそういうこともあるよな、いや逆にそんな偶然に出会えたこともラッキーだとポジティブに捉えるべきか。
 焦りと動揺から思考がうまく回っていないフランキーは、とにかく死角をと手当たり次第角を曲がった。しかし冷静さを欠いていたせいで工事中の通りに入ってしまったことにフランキーはまだ気づいていない。
ちょうどお昼時だったこともあり、作業員たちはみな昼休憩をとっていて現場は静かなものだった。その時、再びフランキーは誰かに呼ばれた気がして立ち止まった。誰だと振り返るが、それらしい人は見当たらず、秋風に吹かれながら歩いている人たちだけだった。また気のせいかと正面を向いたとき、今度ははっきりと作業員の男性に声をかけられた。
「おいおい!今工事中だから入っちゃいかんよ!」
 そういわれて足元を見ると、地中深くまで掘られた穴が目下にあった。作業員の男性は、ちゃんとバリケート立てといたはずなのに可笑しいな、と小首をかしげる
「あっぶねぇ…あと一歩で落ちるところだった」
 さっきの鉢植えといい、工事現場といい、やはり誰かに狙われてるのではないかと危機感を覚える。相変わらず見られているような視線は途切れることがなく、不気味な感じが背中から伝わって寒気すら感じる。これは本格的にヤバいと感じたフランキーは、緊急用の避難場所へと足を急いだ。

 

 狙われているとしたら一体誰に?そもそも足がつくようなヘマはしていない、しかし誰からも恨みを買っていないかと言われると否定はできない。わかることは、もしかすると消されるかもしれないということだ。裏社会に居ればその可能性と常に隣り合わせだということは百も承知していたが、いざその状況になってみると忘れていた恐怖心が溢れるように湧き出てくる。まるで自国を裏切り仲間たちから追われていた時のよう。死と隣り合わせ、いつ後ろから撃たれるかわからない恐怖、誰もが敵に見えてくる。
 それともう一つ気になっているのが、さっきも聞こえた自分を呼ぶ声。誰かが自分を罠にはめるために呼んだのか、しかし一体誰が…。
 周りを警戒しながら速足で通りを出たその時、再び誰かに呼ばれた気がした。一瞬動揺し辺りを見渡そうとしたが、これも罠だと思ったフランキーは立ち止まることなくそのまま足を進めた。すると突然車が猛スピードで目の前を通りすぎ街頭に突っ込んだ。辺りには車の破片が散乱し、大破した車からはクラクションが鳴り続けていた。あと30センチほどフランキーが前に出ていたら確実に巻き込まれていただろう。
冷や汗が止まらなかった。完全に狙われている、そう確信した。焦りと動揺が本能的に体を突き動かし一目散に駆け出した。
 とても俺一人で対処できる問題じゃない、黄昏に助けを求めるべきか…いやアイツだって他の任務で忙しいし、そもそもどこの誰が狙ってるかわからない以上下手にアイツを巻き込むわけにはいかない。あくまでこれは俺個人の問題であって、アイツは組織の人間だ。暫く仕事はできなくなるが、身を潜めて敵の様子を伺うしかないな。
 残念ながらパーティには行けなさそうだ、せっかく招待状くれたのに悪いな。あーあ、買ったお菓子も仮装も無駄になっちまう、ほんと散々だよ。俺もいよいよあっち側に行く時が来たのかもしれない、まぁ裏稼業なんてそんなもんさ。寧ろいきなりズドンなんて殺されなくてよかった、おかげで少しはいろいろ考える時間ができたしな。もしパーティの前に死んだら、ハロウィンにはアイツらの家に寄ってやるか、きっと目ん玉飛び出るくらい驚くだろうな。

 

 

 

 それから10日ほど経った日の夕方、フランキーは緊急用避難場所の食料が尽きてしまったので買い出しに出ていた。自分を狙っていた敵もさすがに1週間も姿を見せなければ逃亡したか死んだと思うだろうとずっと身を潜めていたのだが、食糧庫には1週間分の備蓄しかなく、念には念をと節約して10日ほどで尽きてしまった。できればまだ表に出ることは避けたかったが、水もないためこれ以上は無理だと観念し地上に出たのだ。
 久しぶりに日の光を浴びたが、残念ながらもう夕日に変わっていたため爽快感は半減。居場所はバレていないので辺りに怪しい人影は見当たらない。命を繋ぐための食料の買い出しだが、それであっさりやられてしまっては元も子もないと警戒しながらスーパーへと足を進める。
「おい、フランキーか?」
聞き覚えのある声に思わず顔をあげると、懐かしい友人の姿があった。
「お前今までどこに行ってたんだ、いつものタバコ屋にもいなかったし、連絡も寄こさないから何かあったのかと思ったぞ」
 その口ぶりから心配してくれたのかと思うと、ついつい頬が緩んでしまう。
「今日のパーティーに来ないかもと言ったらアーニャのやつ落ち込んでた」
 パーティーと言われて、今日は10月31日のハロウィンだと気づいた。
「悪いな、ちょっといろいろあって身を潜めてたんだ」
 久しぶりに人に向けた発した声は思ったより小さく掠れていた。
「身を潜めるって、一体何があったんだ?」
 このことを話したらコイツは絶対に何かしてしまうだろう、口では素っ気ない態度をとっているが根は優しいやつだと知っているから。何でもないというのは簡単だが、コイツに嘘をつくのは容易ではない。ここで会ったのも何か縁だと思い、ここ2週間の出来事をすべて話した。
「ていう感じでな、もう腹ペコだよ。まぁ今までの付けが回ってきたってところだろうな。今思えばあの声は俺をあっち側に呼ぶ声だったのかもしれない。それが幽霊か死神かは知らないがな」
 これがコイツとの最後の会話になるかもしれないと密かに思いながらも、いつも通りのヘラヘラした笑みを浮かべる。心配してくれるか、助けてやると言われるか…もう半ば諦めて覚悟を決めたフランキーは、どんな申し出をされても断るつもりだった。
「お前は何を言ってるんだ?もう少し頭を使えこのバカが」
 この状況で罵倒する言葉が出てくるとは予想外だった。目をまん丸にしたフランキーを見て溜息をつくと、呆れた様子で話し出した。

 

「お前を殺す目的ならそんな生ぬるいことをする殺し屋がいると思うか?何のために事故死に見せかけたいんだ?お前は主要級の要人でもなければただの一般人だ。例え撃たれて死んだとしてもニュースに取り上げられるかもわからない。お前が死んだところでこの国に何の影響もない、そんなただの一般人を事故死に見せかける理由が見当たらないな」
「で、でも本当に狙われたんだぜ!誰かに見られてる感覚もあった!」
「だとしたらなぜたばこ屋は無事なんだ?居場所がわからないなら戻ってくる可能性を考慮してタバコ屋にトラップを仕掛けるくらいするだろう。しかし様子を見に行った時そんな痕跡はなかった。殺し屋が本気ならお前の居場所くらい掴んでいるはずだ、今日まで2週間生きているのが何よりの証拠だろう。お前の身に起きたのはただの不慮の事故だ」
「じゃぁあの俺を呼ぶ声は何だったんだよ!あれは絶対空耳なんかじゃなかった!俺を呪う声か、死神の迎えに違いないって!」
 確かに殺しに関しては俺よりコイツの方が詳しい。コイツがそういうならそうかもしれないが、でもあの声のせいで危ない目にあったのも事実だ。
 夕日がさっきより傾き、ロイドは少し眩しそうに眼を細める。
「よく考えてみろ、お前さっき言ったよな?呼ばれた気がして立ち止まったって」
「あぁそうだ」
「立ち止まったら、鉢植えが目の前に落ちてきたり、工事現場の穴に落ちかけたり、車に突っ込まれそうになったと」
「だからそうだって言ってるだろ」
「その声で立ち止まったおかげで回避できたとは思わないのか?逆にお前を呼び止めなければ事故に合わせることは容易だと思うが」
 そんなわけ…、と思いながらも状況を思い返してみる。確かに呼ばれてから立ち止まって振り返る時間が数秒あった。そのラグを計算できないほどアホな殺し屋はいないだろう。確かに言われてみれば、すべて呼ばれて立ち止まった後に起こった事故だった。立ち止まらずにあのまま進んでいたら…。
「でも俺の事を助けるなんてどこの誰だよ、そんな親切な奴に心当たりはないぞ」
「周囲にそれらしい人がいなかったというなら、お前のことが好きな隠れファンか…もしかしたら本当に幽霊かもしれないな」
 お前が非科学的なことを信じるたちか?とつい突っ込んでしまう。
「ハッ、幽霊にしたって同じだよ。俺を憎む奴はいても助けようなんてそんな奴いるわけないだろ」
 俺はいろんなものを裏切って今ここにいるんだから、と小さく吐き捨てた。
「案外、もうお前のことを許してるのかもしれないぞ。幽霊なんて信じちゃいないが、お前が聞こえたというなら聞こえたんだろう。でもそれはお前自身が引き起こした幻聴かもしれない。最近そういうことを考える機会があったんじゃないか?いい加減、いつまでも自分のことを責めるな」
 もしかしたらそう伝えるためにわざわざ来たのかもしれないな、と本気で思っているのかわからないようなことを言う。
 「なんだよそれ、お前幽霊は信じないんじゃなかったのか?言ってることめちゃくちゃじゃねぇか」
 ロイドのらしくない発言にフランキーは思わず笑みを浮かべた。
確かにあれから何も無さ過ぎて不自然には思っていた。黄昏の言うことには説得力があるし、そう考えたほうがしっくりもくる。このまま緊急用避難場所に戻ってもいいが、いつまでもビビッて逃げてたら仕事にならない。まぁもし本当に狙われて…なんてことになったとしても、今は自分らしくいるほうが楽しいに決まってる。さっきまで暗く沈んでいた自分が急に馬鹿らしく思えた。
 まだパーティーは終わってないかとロイドに尋ねると、夕食はこれからだ、とさも当然のように答えた。
「よーっし!それなら今からパーティーに参加するぞ!主役は遅れて登場するからな!っとその前に招待状とアイツに買ったお菓子と仮装を取りに行かないとな、結構量あるからお前も手伝え」
 ロイドの背をバンバンと叩き歩き出す。やっといつもの調子を取り戻したフランキーを見て少し嬉しそうにその手を払う。その道中、仮装をするときの道具が変装に使えるだとか、あのお菓子がすごかったとか、ロイドにとってはどうでもいいようなことをフランキーはとても楽しそうに話した。
 俺が本当に許されたなんて都合のいいことは思っちゃいない。そもそもアイツらは俺の事なんて覚えてないかもしれないっていうのに…。まぁ恨んでいたとしてもいなくても、もし本当に俺に会いに来てくれる奴がいるなら、今度は酒とつまみでも用意しておいてやるか。そうすりゃきっと飲んで食って楽しんで帰ってくれるだろうよ。
 ハッピーハロウィン!クソ野郎共!

 

 

ガラスの靴は必要ありません

 

 むかしむかし、ある国にシンデレラという美しい娘がいました。 

 母親を病気でなくしたシンデレラは、父親とふたりで暮らしていましたが、その父親がシンデレラを酷く溺愛しており困っていました。


「あぁシンデレラ!お前はなんて美しいんだ!絶対に嫁になんかやらん!僕の目が黒いうちは!いや幽霊になったって嫁には行かせないぞ‼」
「ちょっとやめてくださいユーリ、お嫁に行けなかったら私が困るじゃないですか」
「僕が永遠に養ってあげるから大丈夫だよシンデレラ!毎日健康的な食事と運動をしてれば150歳くらい余裕だよ!」
 とてもしあわせな毎日でしたが、父親はあっけなく事故で死んでしまい、幽霊となって一緒にくらしました。

「シンデレラ、さっさと食事の用意をするんだ、20分以内に」
「それができたら私たちのパジャマを洗いなさい」
 ある日突然、父親と再婚していたと名乗る相手が現れたのです。その人はバツイチ子持ちでとても意地悪だったのです。
「あのハンドラー…いえお義母さま、昼食はシチューでよろしいでしょうか」
「昨日もその前もその前もシチューだったじゃないか、まぁそれ以外は食べれたものじゃないが…もういっそ諦めて自分で作ったほうがいいか…」
「それと、フィオナお義姉さまのパジャマはレース素材で寒そうでしたので、ぼろ布で作った私のパジャマと交換しておきました、今夜は暖かくして寝れますよ」
「何余計なことしてんのよ!あのレースが可愛いんじゃない‼さっさと返しなさいよ‼」
「え、でも…もうキッチンのカーテンにしてしまいました…」
「ギャーーー!!」
「僕の可愛いシンデレラをいじめるなんて許せなぁぁあああい!!!毎晩枕元で呪いの言葉を言いまくってやるぅぅぅぅううう!!」
と、こんな感じで毎日毎日楽しく暮らしていました。

 ある時、シンデレラの屋敷にお城からの招待状が届きました。
「ふーん、どうやら王子様が、お妃を探すために舞踏会を開くようだね」
「王子様ってあの超絶イケメンハイスペックな方よね。お母様、私絶対に舞踏会に行くわ。そして王子と結婚します。例え他の奴らを蹴落としてでも」
「いい心掛けだ、この屋敷の財産も情報も大したことなかったし、次は国に手をかけるのもいいな。その方が国家を操作しやすい」
「あの王子様が私のものに…ハァ、ハァ♡」
「ふふ、楽しそうですね。では私は留守番してますので、お2人でいってらっしゃいませ」
 王子様にも舞踏会にも興味が無かったシンデレラは、快く継母と義姉を見送りました。シンデレラにとって平和で平凡が一番、目立つようなことはしたくなかったのです。

「さて、お洗濯も終わりましたし、次は巻き割りでもしましょう」
 すらっとしたその容姿からは想像できないが、シンデレラは家事の中で薪割りが一番好きでした。どうやら、スパッと割れる様が爽快なんだとか…。
 シンデレラが薪割りをしていると、突然背後から声をかけられました。
「おまえ、しんでれらか?」
「あら、これは可愛いお客様ですね。はい、確かに私はシンデレラですが何か御用ですか?」
 ピンクの髪に魔法使いのようなローブを来た可愛らしい少女が、もふもふの毛をした犬を連れていました。
「おまえ、ぶとーかいにいかないのか?」
「舞踏会ですか?いいえ、私はお留守番です」
「なんでいかない?いきたくないのか?」
「んーそうですね…お城にも王子様にも興味ありませんし…私はここで平和に暮らせればそれでいいので」
「そうだそうだ!シンデレラは僕のだぞ!王子だろうが誰だろうが渡さん!」
 どこからか変な声が聞こえる…とピンク髪の少女はシンデレラの頭上あたりを見つめますが、まぁいっかと気にしない方向でいくようです。
「んーでもそれだとアーニャがこまる、おはなしにならない。しんでれらぶとうかいにいって」
 どうしてこの子が困るのでしょう…お話とはなんのことでしょう?と疑問を浮かべるが、そういった立ち入ったことを聞いてもいいものかと迷ってしまいました。
「あの…まず舞踏会に行くドレスがないので、そもそも行けないのです」
「じゃドレスがあればいけるんだな!」
「おい、余計なことをするんじゃない小娘!」
 うーん、と顔をしかめていた少女の表情はぱっと明るくなり、ローブから杖を取り出したと思うと呪文を唱えました。
「えっと、じゅもんってなんだったっけ?ん~…そうだ!きれいなドレス、きれいなドレス…びびで、ばびで、ぶー!」
 杖から一筋の光の粉が現れ、あっと言う間にシンデレラを包み込みました。すると驚くことに、シンデレラは美しいドレスを身にまとっていたのです。
「これは一体…こんなに綺麗なドレスは初めてです!」
「うんうん、さすがアーニャ、かんぺきなしごと」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!綺麗だ!美しいよ僕のシンデレラぁぁぁあああ!!」
「ボフッ」
 少女が満足げな笑みを浮かべていると、隣にいたもふもふな犬がシンデレラの足元を指し吠えしました。
 シンデレラのドレスは美しいものに変わりましたが、靴は元のボロ靴のままだったのです。
「あ、くつわすれてた。えっと…きれいなくつ、きれいなくつ…びびで、ばびで、ぶー!」
「まぁ!これはガラスの靴ですか?すごくきれいです!」
「よし、こんどこそこれでかんぺき!」
「ぐはっ!綺麗すぎて直視できないっ!」
「ボフッ」
 少女が満足げな笑みを浮かべていると、隣にいたもふもふな犬は首から下げていた時計を見せ再び吠えしました。
「ん?どうしたボンド、アーニャのしごとはかんぺきだぞ」
 少女は何が言いたいのか意図を察することができず首をかしげていました。そこでシンデレラは申し訳なさそうにいいました。

「あの…たぶん犬さんは舞踏会の時間のことを言っているのではないでしょうか?ここから歩いてで舞踏会に間に合いません。ここまでしていただいたのに申し訳ないです…。今から全力で走れば間に合うかもしれませんが、でもこのドレスと靴では無理ですね…馬車も継母とお義姉さまが乗って行ってしまいましたし」
 普通の貴族令嬢は全力ダッシュなどしないし、お城まで走るなんてそんな発想に至らないが、今それは問題はなかった。
「そうだった!アーニャがばしゃとかいろいろださなきゃだった!えっとえっと、ばしゃはたしかかぼちゃだ!しんでれら!かぼちゃちょうだい!」
「かぼちゃですか?はい、それなら畑にいっぱいあります」
「あとは…んーっとちょっとまて、このほんには…あ!ねずみだ!しんでれら!ねずみもちょうだい!」
「ねずみですか?すみません、うちにねずみさんはいないんです」
「ガーン!ねずみいないと、ばしゃひくひといない…」
 少女は膝から崩れ落ち「おわった…」と状況を嘆き、そんな少女を見て浮遊している男は、ざまぁみろ!と嘲笑っていました。
「ねずみさんがいないとうまさんできない…ねずみさん、どこかにねずみさんは…ん?ねずみじゃなくてもいいんじゃないか?よし、ボンド、うまになれ」
 少女の目がもふもふの犬を捕えると、犬は首を横に大きく振りました。しかし少女の目は悪役そのもの、ニヤリと笑うと呪文を唱え、もふもふの犬をう馬に変えてしまったのです。
「ボフゥ…」
「これでばしゃもうまもある!しんでれらぶとーかいにいってこい」
「えっと…私が行かないとアーニャさんが困るんですよね?」
「うい、おはなしてきにアーニャこまる」
「わかりました。せっかくここまでしていただきましたし、アーニャさんのために舞踏会に行ってきます」
「ダメだシンデレラ!美しい君を見たら王子どころか城中の奴らが君に夢中になってしまう!!そんなこと絶対にさせん!!」
 馬の姿に替えられた犬は溜息をつくようにピンク髪の少女に向かって吠えました。
「ん?なんだボンド、うまさんいやなのか?」
 嫌に決まってる、と言っても伝わらないだろうと諦めている犬は、今度はシンデレラの方を向いて吠えました。
「なにいってるんだ?ん~そういえばなにかわすれてるような……あ!だいじなことわすれてた!しんでれら、アーニャのまほうは…えっと、とけいのながいはりとみじかいはりがいちばんうえにいったときにとけちゃう!」
「長い針と短い針が…0時ということでしょうか?」
「そうたぶんそれ!」
「わかりました、それまでには戻ってくるようにしますね。ではアーニャさんいってきます」
「うい、いってらさい!」
「ダメだシンデレラぁぁあああ!!行かせないぞぉぉぉおお!!」
 浮遊した男は馬車の前に立ちはだかりますが、馬車はそれを突き抜けてお城の方へ走り去っていきました。
「くそっ!こうなったら城まで追いかけるしかない!」
「おまえうるさいからそこにいろ」
 ピンク髪の少女は呪文を唱えると、浮遊していた男を庭の大木に縛り付けてしまいました。
「何するんだこの小娘!放せ!僕はシンデレラの元へ行くんだぁぁぁああ!!」
「よし、アーニャのしごとはこれでおわり、あとはうまくやれよ、おうじ」
 役目を終えたピンク髪の少女はるんるんと歩いて行ってしまいました。


 シンデレラがお城へ着くと、その装飾の豪華さや人の多さに圧倒されていました。しかしその豪華な装飾に負けないほど美しいシンデレラの姿に会場のみんなは釘付けでした。
「なんだかとても見られているような気がします…やはり私なんて場違いだったのでしょうか…」
「ちょっとあそこにいるのはシンデレラじゃない⁉どうしてあの子はあんな綺麗なドレスを着ているのよ!」
「ふむ、どうやらお前の勝ち目は無いようだね。大人しく帰るとするか」
「ちょっと何言ってるのよ!私が王子様と結婚するのよ!あんな料理をさせればダークマターしか作れないような頭の可笑しな女に負けるわけにはいかないわ!」
「状況をよく読み、引き際を見極めるのも大事だ。それに見てみろ、もう王子様が来ているじゃないか」
 皆の視線を集めているシンデレラに王子様が気づくのに、そう時間はかかりませんでした。王子は自らシンデレラの元へやってくるとダンスを申し込みました。
「こんばんは美しいレディ、もしよろしければ貴方の名前を教えてもらえませんか?」
「えっと、初めまして王子様?私の名前はヨルです」
「ヨルさんですか、いい名前ですね。申し遅れました、私はこの国の王子のロイドと申します。是非ロイドと呼んでください。そしてよかったら僕と踊っていただけませんか?」
 シンデレラの美しさを他の男に見せるわけにはいかない!という理由で社交界に出ることを父親に禁止されていたので、異性と踊ったことがないシンデレラは自信がありませんでした。しかし王子様の申し出を断ることもできないシンデレラは、申し訳なさそうにいいました。
「あの…こういう場は初めてなのでロイドさんの足を踏んでしまうかもしれません…」
「構いませんよ、貴方のような方に踏まれるなら足も喜ぶでしょう」
 そういってシンデレラの手を取ると、王子様とシンデレラは広間の中央へ向かい踊り始めました。2人のダンスは惚れ惚れするほど優雅…ではなく、皆ハラハラしながら見守りました。

「そう、体を僕に預けるように…い゛っ‼」
「あ、すみません!また足を踏んでしまいました」
「い、いえ…お気になさらず…そのまま流れるように~いだっ‼」
「あわわ!すみませんロイドさん!やっぱり私にダンスなんて無理だったんです」
「何言ってるんですか…僕の足はよ、よろこんでいますよ…」
 靴底に鉄板を仕込んではいるが、靴全体の強度をもっと上げておくべきだったな…と王子様はひきつった笑顔とその額には冷や汗を浮かべていた。シンデレラはこんな自分にも優しくしてくれるなんて、と王子様の優しさに感激していました。
「では曲調を変えてみましょう。ヨルさんの動きには激しいテンポのほうがあっている気がします」
 王子様が指揮者に合図をすると、曲調がゆったりとしたワルツからアップテンポなタンゴに変わりました。
「ヨルさんの好きなように踊ってください、僕が合わせますから」
「わかりました。ではっ!」
 するとシンデレラはすごい勢いでステップを踏み、まるで飛ぶように踊りだしました。王子様はその勢いにまるで引きずられるようでしたが、すぐにシンデレラと同じレベルに合わせたのです。
「すごい、こんなに激しいダンスは初めてです!それにさっきよりも生き生きしていますよヨルさん」
「ふふ、私もこんなに思いっきり踊ったのは久しぶりです。まさか父以外にこれについてこれる人がいるとは思ってもいませんでした」
 二人のダンスは圧倒的で、まさにレベルが違う世界でした。王子様狙いの令嬢たちは、こんな激しいダンスは無理…と、妃の座を諦めるものが続出していました。ある一人を除いては…。
「私だってあれくらいのダンスできるわ!王子様だって私と踊ればきっと虜になるに違いないのに!」
「私は別にどっちが妃になってもいいんだがね。それで国が操れるのならば…しかしあの王子、噂には聞いていたけどなかなかのやり手らしいな。妃になったとしてもそう易々と言うことを聞いてくれるとは思えないな」
 ちょっと周りで踊ってくるわ!といい義姉は王子様とシンデレラの周りで1人タンゴを踊り始めました。継母は、滑稽で見ていられない、という素振りをし、静かに会場を後にしました。
 王子様とシンデレラの激しいダンスは暫く続き、気づけば0時を知らせる鐘が鳴り始めてしまいました。

「大変です!もう帰らないと!ごめんなさいロイドさん、今夜はとても楽しかったです。私、今日のことは忘れません、さようなら!」
 そういうとシンデレラは振り返ることもなく門に向かってものすごいスピードで走っていきました。
令嬢が全体ダッシュだと⁉しかもあのスピード!ただ者ではない!シンデレラの脚力に驚きながらも、王子様も負けないくらいのスピードでシンデレラを追いかけました。
「待ってくださいヨルさん!」
 王子様が必死に叫びますが、シンデレラは魔法がとけたみすぼらしい姿を見せるわけにはいかないとさらにスピードをあげました。
「やっぱりドレスだと走りにくいですね、それにこのガラスの靴も…脱いで走ったほうが早そうです」
 シンデレラは何のためらいもなくガラスの靴を脱ぐと、その靴を手に持ったまま素足で走りました。
「待ちなさいシンデレラ!アンタそのドレスどうしたのよ!王子様の目を引くなんて許さないわよ!そのドレスを寄こしなさい!」
 同様に凄いスピードで追いかけてきた義姉はシンデレラに掴みかかりました。シンデレラは走るスピードを緩めることなく必死に義姉と応戦します。
「やめてくださいお義姉様!私そんなつもりじゃありません!」
「言い訳なんて見苦しいわよ!アンタのその恰好が何よりの証拠じゃない!王子様に色目を使うなんて許さないわ!」
 全く言い分を聞いてくれない義姉と残された時間に焦るシンデレラ。ゴーンと鳴り響く鐘の音は今何回鳴ったかしらと、そのことに気を取られ、うっかり手に持っていたガラスの靴で義姉を殴ってしまいました。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
「あ、ごめんなさいお義姉様!えっと、時間がないので先に行きますね!」
 頭から血を流し叫ぶ義姉を残し急いで階段を駆け下りるシンデレラ。残っていたもう1足のガラスの靴はもういらないかと階段の隅に置いてしまいました。
「ボンドさん、お待たせしました!急いで馬車を出してください!」
「ボフッ!」
 もふもふの犬…いえ馬は、急いで馬車を走らせ城を後にしました。遠くに走り去っていく馬車を見つめる王子様の手には、シンデレラが置いていったガラスの靴がありました。
「珍しいな、お前がそこまで夢中になる女なんて」
 王子様をお前呼ばわりするのは、モジャモジャ頭の男だった。
「うるさい、お前の仕事はさっきのヨルさんをいう女性を見つけ出すことだ」
「またそんな無茶を…この街に一体どれだけの女がいると思ってるんだ?ヨルなんて名前の女だって何人もいるかもしれないし、もしかしたら偽名かもしれないぞ」
「舞踏会に来ておいて偽名を使う理由が見当たらないな。敵国のスパイならまだしも…いや、あの動きならスパイという可能性も否定できないが…とにかく探すんだ、このガラス靴があればなんとかなるだろ。クビにされたくなかったら1週間以内にやれ」
 モジャモジャ頭の男に、この鬼!と言われながらも、全く気にしていない様子でガラスの靴をモジャモジャ頭の男に渡し城に戻って行きました。
「ったく、王子様の命令じゃしょうがねぇな、いっちょ本気出しますか」


 1週間後、シンデレラの家には王子様がやってきていました。
「まぁ、王子様が直々にいらっしゃるとは…一体どんなご用件でしょうか」
「王子様⁉ちょっと大変!急いでおめかししなくちゃ!お母様!王子様に一番高級なお茶をお出しして少し時間を稼いでちょうだい!」
「お前が王子か、いけ好かない顔してるぜ、一体何の用でうちに来たんだ?」
 浮遊霊は未だ庭の大木に縛られたまま怪訝な顔していいました。
「いえ、お茶は結構です。今日はこちらにいるヨルさんに会いに来ました。呼んできてはいただけませんか?」
「わかりました。シンデレラ、王子様がお呼びだ」
 台所にいるシンデレラに向かって継母が叫ぶと、二階にいた義姉がこれでもかと言うほど煌びやかにアクセサリーを着飾り下りてきました。
「私が!私がヨルです王子様!」
「おまえなぁ…」
「おほほほ!お母様ったらボケですか?嫌ですわ」
 義姉が一生懸命誤魔化しましたが、台所からシンデレラが姿を現してしまいました。

「今お茶を入れていたのですが、どうかされましたかお義母様、あらロイドさん…」
 なんでアンタ出てくるのよ!空気読みなさいよ!と王子様から見えないように義姉がシンデレラに文句をいうと、シンデレラはどうしたらいいのか困ってしまいました。
「会いたかったですヨルさん。忘れて行ったこのガラスの靴をお返しに…そしてこの靴がぴったり合ったあかつきには、僕と結婚してください」
「ロイドさん…でも、私は王子様にふさわしくはありません。料理もまともにできませんし、出来るのは裁縫と家事と薪割りくらいで…あ、でも薪割りはすごく得意なんですよ!」
「ふふ、料理は専属の料理人がいますから問題ありません。他の家事もやらなくていいんです、だって妃とはそういうものですから。薪割りは…ヨルさんが望むなら続けてもらっても構いません」
 二人の甘い空気に義姉は鼻息を荒くして割り込んできました。
「待ってください王子様!ガラスの靴がぴったり合えば結婚してくれるというのは本当ですか!それなら私にもその靴を履かせてください!そして私と結婚してください!」
「よく言ったぞ女!シンデレラと王子の結婚を妨害すれば今までのシンデレラへの仕打ちは見逃してやる!」
 大木の浮遊霊は窓越しに室内に向かって叫びました。王子様は義姉の乱入に戸惑いながらも、それで気が済むならばとガラスの靴を渡し、義姉はうやうやしくガラスの靴を受け取ると勝ち誇った笑みを浮かべガラスの靴にそっとつま先を入れました。
「え、噓でしょ!入らない!お、おかしいわ足だけ太ったのかしら!ちょっとお待ちくださいね…」
 あと少しで入るのに!なんとしても王子様を手に入れたい!王子様と結婚するのは私なんだから!
 必死にガラスの靴に足を詰め込もうとする義姉をシンデレラは止めようとしました。
「お義姉様、それ以上はケガしてしまいます。危ないですからもうやめてください」
「アンタは黙ってなさい!そうよ!台所からナイフを持ってきて!足を少し削ればはいるわ!」
「そんなことしてはダメです!やめてくださいお義姉様!」
「じゃぁ力ずくでも入れるからいいわよ!」
「すまないねぇうちの子が」
 継母の言葉に適当に返事をするが、俺が見ていることを忘れていないか?ぴったり入るという意味を分かっているのだろうか、それとも止めに入るべきなのか…と王子様は呆然とその光景を眺めていました。
 義姉はなんとか力ずくで足を入れようと、渾身の力で足をねじ込みました。するとその圧力に耐えきれなかったガラスの靴は粉々に砕け散ってしまいました。
「あぁそんな!私のガラスの靴がぁ‼私の結婚が‼」
 義姉は粉々になったガラスの靴を必死に手でかき集めようとする義姉の手は血まみれになってしまいました。シンデレラは義姉に駆け寄り手を取りました。
「もうやめてください、お義姉様の綺麗な手が傷だらけになってしまいます」
「ぐすっ…ごめんねシンデレラ、私のせいでガラスの靴が…」
 ふふふ、ガラスの靴さえなければシンデレラとの結婚も無くなるはず!フェアとはいかないが、これで私にもチャンスがまだあるはず!血まみれの手でシンデレラを抱きしめる義姉は心中で嘲笑っていました。
「王子様申し訳ございません、この償いは私の身をもって…そう、王子様との結婚で償って見せます!」
「いえ、お気持ちだけで結構です。ヨルさん、ガラスの靴は無くなってしまいましたが、僕と結婚してはもらえませんか?もしよければ、この手を取ってもう一度踊ってください」
 王子様の予想外の発言に義姉の口は開いたまま塞がらず、その横でゆっくりと立ち上がったシンデレラは王子様の手をとりました。
「はい、私でよろしければ是非お願いいたします」
「必ず幸せにします」

 

「そのご、しんでれらはおしろでしあわせにくらしました。めでたし、めでたし」
「おいおい、俺ちょい役じゃねーか、出番少なすぎだろ!主役とは言わないがもうちっと活躍するイケメン役とかなかったのか?ほら、姫を奪い合うイケメン騎士とか」
「もじゃもじゃのやくつくってやっただけいいとおもえ、ほんとうならでばんなかった。それにきっとちちにボコボコにされるだけだぞ」
「うっ…それは確かにそうだけどよ…。なんだよなんだよ!俺だってたまにはイケメン主人公役とかやってみてぇよ!」
「そんなのアーニャにいわれてもこまる。ボンド、おわったからちちとははのとこいこう!」
「ボフッ!」
「待てよ!俺も行くってぇー!」

 

赤いずきんの女の子

 

「アーニャさん、この美味しいご飯を森のおばあさんのとこまで届けてもらえますか?」
 赤いずきんをかぶった可愛らしい女の子はバスケットを受け取り元気よく返事をした。
「うい!アーニャにまかせろ!じゃはは、いってくるます!」
「いってらっしゃい、寄り道をしないように。あとオオカミさんには気を付けてくださいね」
 見送る母に向かって大きく手を振る赤いずきんの女の子。バスケットの中を覗くと、おばあさんへのご飯とは別にクッキーが入っているのを見つけた。これはもしかして自分のおやつかも!と思わず笑みを浮かべた。
「アイツ何か美味そうな匂いのものを持ってたな…べ、別に一緒に食べたいなんて思ってるわけじゃねぇけど、他のオオカミに食べられるくらいなら俺が食べてやろうってだけだからな!」
 その様子をこっそりと見ていた黒い影は、どこの誰に言い聞かせているわけでもないのだが、どこかの誰かに言い聞かせると、赤いずきんの女の子を追いかけて行った。

 


「アーニャのクッキー♪クッキー、クッキー♪ちょこちっぷ~も~おいしいな~♪なっついり~も~おいしいな~♪」
 舗装などされていないデコボコ道を、自作の歌を歌いながらルンルンと進む。
「あ、きれいないしはっけん!ん~、これはいいかたちしてる…たぶんけっこうレア!おばあちゃんにもみせてあげよう!」
「おい、寄り道すんなって言われてただろ」
「ん?ダミアンなんのようだ?」
 友達…と言えるかわからないが、何度も話したこともある顔なじみに“なんのようだ”と言われるのは少々心にくるものがある。せめておはようとか言えないのかよ…まぁ俺も言ってないけど、とぼやきながらも、意を決して赤いずきんの少女に本題を伝える。
「何の用って…お前が森に入っていくのをた・ま・た・ま・見かけたから!ちょっと様子を見に来ただけだ!それにこの辺は怖いオオカミが出て危ないから…つ、ついて行ってやらないこともないぞ」
「こわいおおかみって…ダミアンもおおかみじゃん」
「俺の事じゃねぇよ!それとも…お前は俺のこと怖いやつだと思ってんのかよ」
 綺麗な黒い毛並みに凛々しい耳と尻尾を持つ彼は、赤いずきんの女の子の目をじっと見つめて言う。女の子がそんなことを思っているなんてかけらも思っていないが、所詮自分はオオカミだ。周りからは疎まれ、敵視される。オオカミを崇拝する輩もいるが、結局そいつらだって本当の自分を知っているわけじゃない。一匹狼なんてカッコイイ言葉もあるようだが、なりたくてなった奴はいるのか?周りがそうさせたんじゃないのか?自分を守るためにそうしたんじゃないのか?少なくとも自分はいつもそうだった。
 そこに現れたイレギュラーな女の子に興味を持ってしまうのは、仕組まれた必然だった。
「ダミアンはこわくない、いいやつだから」
 自信満々にいう赤いずきんの女の子の回答に、黒い彼は満足気な笑みを浮かべ歩き出した。
「ほら、さっさと行くぞ。帰りが遅くなったら心配されるだろ」
「そうだった、このまえくらくなるまであそんでたら、ははがすごくしんぱいしてた」
「あーあの時はすごかったな…森中の動物たちが逃げ出して、草木も震えてるのを感じた…お前の母親何者だ?」
 実はその一件以来、この辺の怖いオオカミたちも遠くの方へ逃げて行ったんだけど、という情報は心の奥に留めておいた。
「んーふつうのはは、たまにたのしそうにとりさんさばいてる」
 それは結構なクレイジーじゃないか?お前の普通の定義はどうなってるんだ?という疑問と共に、赤いずきんの女の子が自分と会っているなんて絶対に知られてはいけないと身震いをした。

「このおはなきれいだ、はなかんむりにしておばあちゃんにあげよう……アーニャはなかんむりつくれなかった」
「お前そんなことも出来ないのかよ、その辺の女はよく作ってるぜ」
「じゃダミアンはできるのか?」
「俺ができるわけないだろ、花冠なんて必要ないからな、作ろうと思ったこともない」
「じゃアーニャとおなじだ♪」
「だ、だからちげーつの…」
「じゃはなたばでいっか、どれにしようかな~」
「この前、綺麗な花が咲いてるとこ見つけたから、今度連れて行ってやるよ」

 きっと驚くぜ、と黒い彼は優しげに赤いずきんの女の子を見つめるが、そんな二人の仲睦まじい様子を遠くから見つめる人影には気づいていなかった。それは彼がオオカミとして劣っているというわけではなく、ただ単に相手が気配を消すプロだったというだけのこと。

 

 猟銃を持った男性は草木に隠れながら黒い彼を視認した。
「散々オオカミには気を付けろと言ったのに、なんでオオカミと一緒にいるんだ。やはりアーニャに森を歩かせるのは危険だ」
 銃口を構え狙いを定めるが、下手をすると赤いずきんの女の子にも当たる可能性があった。
 狙撃を諦め、オオカミに気付かれない程度に近づき尾行する方向に切り替えた男性は、素早くその場を移動した。

 そうこうしているうちにおばあさんの家に到着した2人。
「どうしたダミアン、はいらないのか?」
「いや、俺が入ったら驚かせるだけだから」
 今までアーニャと森で遊んだことはあったが、おばあさんの家に来るのは初めてだった。というか、オオカミを普通に家にあげようとしているお前は大丈夫なのか?とついつい突っ込んででしまった。
「ダミアンはいいオオカミだから、それにおばあちゃんはおどろかないからだいじょぶ!」
 その謎の自信はどこから来るんだ?と疑問を伝えるよりも早く、赤いずきんの女の子は黒い彼の手を引いて家の中へ招いた。
 赤いずきんの女の子に好意を持っていた黒い彼は、あわよくばおばあさんとも仲良くなっておきたいと若干の下心を胸におばあさんに声をかけた。
「は、初めまして!アーニャさんの友達?のダミアンといいます!」
「おばあちゃん、こいつダミアン、いいオオカミ」
 白いもふもふとしたパジャマに、黒い蝶ネクタイを付けたおばあさんは、まっすぐにダミアンを見つめ返事をした。
「ボフッ!」


「え…?あれが、おばあちゃん?」
「うい、おばあちゃんのボンド」
「いやいやいや!あれどう見ても犬だろ!しかもオスだし!どっちかって言ったらおじいちゃんだろ!!」
 自分が知っているおばあさんの姿とは似ても似つかぬその姿に困惑した。
「なにいってるんだ?ボンドはどうみてもおばあちゃんだ」
「ボフゥ」
 もふもふのおばあさんもまんざらでもなさそうにしているのを見て、俺が間違っているのか?俺がおかしいのか?と軽いパニックを起こしていた。
「えっと…おばあさん、ですか?」
「ボフゥ」
「アーニャさんとはいつも仲良くさせてもらっていまして…」
「ボフッ」
 全然会話通じねーーー!もう何言ってるのかわかんねぇ!やっぱりこれ犬だよね!と1人つっこみをする黒い彼はふと気づいた、これではおばあさんと仲良くなる作戦は失敗になると。
 同じイヌ科なのに言語が通じる気がしないとはどういうことか。
「おばあちゃん、ははからのごはんここにおいとくな。ダミアン、クッキーいっしょにたべよ、アーニャのをとくべつにわけてやる」
 母からのご飯と聞いて急に布団に潜り込むおばあさんを尻目に、赤いずきんの女の子から差し出されたクッキーを頬張る。
「うん、美味いな、これお前の母親が作ったのか?」
「ううん、ちちがつくった、ははりょうりできない」
 こんな美味しいクッキーが作れるなんて、父親は随分可愛らしい人なのかもしれない。そう妄想を広げながら、もう一枚…とチョコチップクッキーへ手を伸ばす。
 その時、突然ドアが大きく開いたかと思えば、黒い彼は銃口を突き付けられていた。
「アーニャ!おばあさん!伏せろ!!そこのオオカミ!アーニャとおばあさんから離れるんだ!」
 黒い彼は驚いてその場から動くことができなかった。


「ちちうるさい、アーニャいまダミアンとおやつたべてる。ダミアン、こっちのなっついりクッキーもおいしいぞ」
 そういって先ほどと同じように差し出されたクッキーをオロオロと黒い彼は受け取る。
「あ、ありがとう…って今クッキー食ってる場合かよ!え⁉この人父って言った⁉お前の父親なのか⁉この怖そうな猟銃構えてる人がこの美味しいクッキー作った父親⁉」
 そう、と言いながらポリポリとクッキーを食べる我が子を見ながら、猟銃を構えたままの男性も困惑していた。
 なんでアーニャはオオカミと仲良くクッキーを食べてるんだ?てっきりアーニャが襲われると思って来たのだが…そもそもオオカミってクッキー食べるのか?でも美味しいって言ってくれたのは嬉しい、それは自信作のクッキーだからな。いや、今はそういう場合ではない。
 冷静さを取り戻した男性は、オオカミから視線を外すことなく赤いずきんの女の子に問う。
「アーニャ、これは一体どういうことだ」
「ダミアンオオカミだけどいいやつ、アーニャいつもいっしょにあそんでる、きょうもこわいオオカミからまもるっていっしょについてきてくれた」
「そんなの信用できるわけない、油断させてお前を襲うかもしれないぞ」
「そんなことは絶対にしません!本当に俺はこの子を守ろうとしただけなんです!」
「ボフッ!」
「ほら、おばあちゃんもこういってる」
「うむ…おばあさんがそういうなら…」
 え⁉今の一言で納得しちゃうの⁉この犬…じゃなくておばあさん何者⁉でもおかげで助かったな、と安堵した黒い彼は、穏やかな表情のもふもふとしたおばあさんに心の中で感謝した。
「今は見逃してやる、しかし俺はいつでもこの森でお前も見ている。もしアーニャに何かしたらただでは済まさないぞ」
 男性の目力に圧倒され、下手をすると下げられた猟銃より恐ろしいのではと本能的に恐怖を覚えた。それもそのはず、黒い彼に対して失神させられるのではと思うほどの殺気を飛ばしてきたのだ。
 黒い彼は、絶対にこの人には勝てないと身を縮め、今自分にできる精一杯の誠意を伝えた。
「も、もちろんです!何があっても一生アーニャさんを守ります‼俺がアーニャさんを幸せにします‼」
「っ!俺は認めないぞ‼アーニャにはまだ早い‼」
 焦ったせいで言わなくてもいいことまで言ってしまい、黒い彼は再び銃口を向ける羽目になってしまった。

 

「あークッキーおいしかった。ちち、こんどはダミアンのぶんもおおめにつくって」
「ボフゥ」

 

 

フォージャー家 夏のバカンス

 

 清々しいほどの青い空と白い雲、夏の強い日差しが窓辺から差し込み、見ているだけで体力とやる気が吸われそうだ。
そしてまさにそれを体現している少女がここに一人…。
「うぅ…ちょっときゅうけいしたい…」
「ダメだ、まだ始めて10分しか経ってないぞ、せめてそのページが終わったらな」
「ちちのおに~」
 机に並べられたプリントを見てつい“うげぇ”と声を漏らす。
 夏休みに入って計画的に宿題をするようにと散々言われていたのだが、一枚目に手を付けたところで詰まってから放置していたのがバレてしまった。
 仕事が忙しいからとちゃんと見てなかったから…と疲労の溜まった顔で溜息をもらすロイドの心労を知ってか知らずか、アーニャは追い打ちをかけるようにある提案をした。
「アーニャ、なつのりょこういきたい」
「どうした急に」
ベッキーもじなんも、みんなりょこうにいくっていってた。あー、アーニャこのままじゃわだいにのりおくれてくらすからこりつするかもしれない」
 棒読みの悲劇のヒロインは、チラチラとロイドの顔色を見ながら心を読んだ。
 確かに旅行も検討していた。学校が学校だけに旅行に行く生徒は多いだろう、アーニャだけがその話題に入れないのも可哀想だし、何か夏の思い出を作ってやりたいとも思っていたからな…アーニャの発言はもとより予想済みだったロイドは本格的に旅行の計画を立てるべきかと検討していた。
「旅行に行くのはいいが、ただし条件付きだ」
「じょうけん?」
「旅行の日までの宿題を終わらせること、今から計画して早くても行けるのは1週間後だろう、それから旅行が3泊4日くらいと過程して、今まで貯めていた分とそれらすべて終わらせることが出来たら連れて行ってやる」
「やったー!おでけけおでけけ♪」
「おい、宿題のことを忘れるなよ」
「おーきーどーきー!」
 本当にわかってるのか?と不安になりならがも、こんなに嬉しそうにはしゃぐ姿につい頬が緩んでしまう。
「はーはー!ちちがおでけけいくって!」
「え、おでかけですか?」
 部屋にいたヨルがドアから顔を覗かせこちらにやってきた。
「いえ、アーニャに旅行にいきたいとせがまれたもので」
「旅行ですか、いいですね!どちらに行くかはもう決まっているんですか?」
「いえ、それはまだ…それより突然決めてしまいましたけどヨルさんの予定は大丈夫でしたか?」
「はい、早めにわかっていれば仕事の方は調節できますので大丈夫です」
「アーニャうみいきたい!」
「海といってもいろいろあるからな」
「いたにのってなみのうえはしるやつやってみたい!」
「板に乗って…サーフィンのことか、あぁいうのは一朝一夕でできるようなものじゃないぞ」
「それならシュノーケリングはどうでしょう、海の中を泳ぐお魚さんたちが見れますよ」
「確かにそれならアーニャでもできそうですね」
 シュノーケリングができる場所をいくつかピックアップして、そこから旅行の候補地を決めましょうというロイドにアーニャもヨルもテンションが上がるばかりだった
「アーニャもうたのしみすぎてあしたいきたい!」
「ふふふ、そうですね、明日はちょっと無理ですけど早くいきたいですね」
「そうだぞ、いろいろ準備があるんだから明日なんて…はっ!おいアーニャ、忘れてないと思うが宿題の条件をクリアしないとお前は連れて行かないからな」
 無慈悲にも現実に引き戻すロイドの発言に、ガーン!と口を大きく開けうなだれるアーニャ。忘れてると思ってたのに!ていうかアーニャもう忘れてた!としっかり顔に書かれている。
 頑張って終わらせましょう!私も手伝いますから!とヨルに背中を押され再び机に向かう。
 机に広がる真っ白い紙を見て、くしゃくしゃに丸めて窓から外に投げたら、雲になって飛んで行ってくれないかな…と窓の外に広がる清々しいほどの青い空と白い雲を見つめる。

 

「えっと、着替えと化粧品…あと何を持っていけばよいのでしょうか?シャンプーや化粧水などは向こうにあると思いますし、これくらいでしょうか。旅は身軽な方がいいですからね。さて、アーニャさんは荷造り終わりましたでしょうか」
 自室を出てアーニャの部屋を覗いたヨルは思わず悲鳴を上げた。
「い、一体何が…」
そこには、胴体と頭は押しつぶされ、腕は今にも千切れそうな無残な姿が広がっていた。
「アーニャさん…」
「ふっ…ふっ!」
「アーニャさん!」
「ん?どうしたはは?」
「これは一体どういうことでしょうか…」
 ヨルは声を震わせながら今にもアーニャの圧力によって四肢が千切れそうなキメラさんを見た。
「キメラさんもりょこうにつれていこうとおもったけどぱんぱんではいらなかったからむりやりつめこんだ、ぺんぎんマンはてでもっていく」
 この惨劇とは裏腹に無垢な瞳の少女はそう答えた。
「なるほど、そうだったのですね。キメラさんは手足が出てしまっていますのでなんとか鞄に入れば持っていけると思いますよ。でもぺんぎんマンさんはどうでしょう…これはロイドさんに聞いてみるしかないですね」
「うい!ちーちー!」
 元気よく走りだし、すでに荷造りを終えていたロイドにぺんぎんマンのことを訪ねた。
「ダメだ」
 何を当たり前のことを…と言わんばかりに呆れた顔のロイド。コイツの用意した荷物を一度確認してみたほうがいいだろうなとため息を漏らす。
「そんなぁ!ぺんぎんマンだけおるすばんなんてかわいそう!」
「ぺんぎんマンだけじゃないぞ、ボンドも留守番だ」
「えぇ⁉」
 アーニャの驚く声に、ボンドはわかってましたよと言っているように“ボフゥ”と小さく吠えた。
「日帰りじゃないし今回は飛行機に乗るんだ、残念だけどボンドには負担が大きすぎる」
「そ、そんな、でもボンドのごはんとかは…」
「もちろん既に手配してある、ボンドはペットホテルで預かってもらうから俺たちが帰ってくるまで快適に過ごせるし、何かあったらフランキーに連絡がいくようになってるから問題ない」
「うぅ…ボンド!ボンドのぶんまでたのしんでくるからな!おみやげもかってくるから!」
 白い毛に埋もれるようにボンドに抱き着くアーニャ。そして立ち上がったロイドはこう言った。
「それじゃお前の荷物を確認しに行くぞ。もちろんぬいぐるみや余分なものは置いていくからな」
「ハッ!キメラさんがあぶない!ちち!いっちゃだめだ!」
 アーニャが言い終わるかどうかの時には、すでにロイドはアーニャの部屋のドアに手をかけていた。
 その後、ロイドを追いかけて自室に入っていったアーニャ…しばらくすると、やーーめーーてーーー!!という悲痛な叫び声が響いていた。

 

 表示された座席番号を見つけると、無機質に並べられた座席の一つに勢いよく座った。
「おー、すわりごこちもまぁまぁわるくない、でもできればアーニャこしつがよかった。これぷらいべーとじぇっとじゃないのか?」
「一体どこでそんなこと覚えたんだ…そんなことできるのは政府の要人か金持ちだけだ。ヨルさん、こちらにどうぞ」
 アーニャを窓側に座らせ、その隣の席をヨルに促す。
「ありがとうございまず。すごいですね、こんなに大勢の人を乗せて飛ぶことができるなんて」
「フッ、ついにアーニャもそらをとぶ…アーニャのじだいきた!」
 荷物をしまい終えたロイドは、飛行機の中ではしゃぐなよ、と言いながら座席に座る。
 いくら飛行機が初めてといっても、周りの迷惑になったり目立つのはご法度だ。
 アーニャは横の小さな窓から外を覗き見ると、大きな白い翼とよくわからない大きな丸い筒のようなものが見えた。本当にこんな大きな飛行機が空を飛ぶのかとそわそわしていると、突然女の人の声が聞こえた。
「当機はまもなく出発いたします。シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください」
「ちち!しゅっぱつするって!だ、だいじょぶか⁉」
「お前がな、いいからちゃんとシートベルト締めて大人しくしてろ」
「私も飛行機に乗るのは初めてなので緊張してしまいます。お、落ちたりしないでしょうか…」
「ヨルさんまで…大丈夫ですよ、そんな滅多に落ちるものじゃないですから」
「ということは落ちることもあるってことですよね…」
 本当に怖いのか、それともアーニャに感化されたのか、ヨルは顔を強張らせたまま目だけロイドの方を向けた。
「お、おちる!このひこうきおちるのか⁉」
「バカっ!そんなわけないだろう!大丈夫だから静かにしてろ!」
 そんな縁起でもないこと、ましてや機内で言うなんて!と冷や汗をかき、周りの人たちにすみませんと頭を下げた。
「うをぉぉぉぉ!ちち!アーニャとんでる⁉ そらとんでる⁉」
「いや、まだだ」
「でもアーニャすごいちからをかんじる!」
「今飛ぶために加速してるからな、それは重力だ」
「まだとんでないのにこんなちからが…!とんだらいったいどんなことになるんだ!」
「大丈夫です!もし何かあったとしても、アーニャさんとロイドさんは私が守りますから!」
 ただ飛行機が離陸しているだけなのに、まるでとんでもない危機に直面しているかのようなリアクションをする2人を横目で見る。頼むから本当に静かにしてくれと思いつつ、これもいい体験になるかと、ロイドは横目で機内を見渡す。

 

「うみだー!」
「ふふ、アーニャさん、元気になってよかったですね」
「そりゃあれだけ寝ていれば元気にもなりますよ。飛行機に乗った時はあんなにはしゃいでたのに、しばらくしたら爆睡してましたからね」
「昨日楽しみで眠れなかったみたいですから」
 さきほどまで眠そうにヨルに手を引かれていたはずが、いつの間にか1人で海に向かって走り出していた。
「ちちー、アーニャうみはいるー!」
「海は明日入るから今はやめておけ」
「あしたってしゅのーなんとか?」
「あぁ、シュノーケリングな。今日はとりあえずホテルに向かいながらあたりを散策して、寄りたいところがあったらあとで行ってみよう」
「さきほど賑わっている場所を見かけたので、もし時間があれば行ってみたいです」
「いいですね、この辺は有名な観光地ですから、きっと美味しいものや楽しいものが沢山ありますよ」
「おいしいものとたのしいもの…ちち!はは!はやくいこう!」
 大きな目に海の輝きを映しながらロイドとヨルを手招きする。心変わりが早いですねと微笑むヨルに、さっきまで海に入ろうとしてたくせに…とつられて微笑んだ。

 ホテルに荷物を置き身軽になった一行は、ヨルが気になっていた広場に来ていた。
 そこは屋台が所狭しと立ち並び、地元の人はもちろん観光客でにぎわっているようだった。
「こんなに多いと、どこから見たらいいか迷いますね」
「本当ですね…アーニャさん、人が多いのではぐれないように手を繋ぎましょう」
 アーニャはヨルに手を差し伸べながらも、意識はすでに屋台一色だった。
 美味しそうな地元の魚やフルーツ、それを調理したいい匂いが広場中に漂い、キラキラした装飾品やおもちゃ、お土産のようなものまで多種多様だ。
「あっちからあまくていいにおいがする…でもあそこのホットドッグみたいなやつもたべてみたい…たいへんだ、これじゃアーニャからだがいくつあってもたべきれない!」
「ここにある食べ物の屋台すべて食べつくす気か?」
「みんなで分ければ沢山食べれるかもしれませんよ、まずはどこから行きたいですか?」
「えっと、えっと…アーニャあそこいきたい!」
「美味しそうですね、行ってみましょうか」
 アーニャが指差した方には、甘い匂いを漂わせた菓子が売っていた。まるで小さく丸いドーナツのような匂いと外見で、カップにはいろんな種類が詰め込まれていた。
「きゃらめるなっつおいしい!」
「このバナナクリームもおいしいですよ」
オレンジピールは少し苦味があって甘い生地とよく合うな」
 一つのカップを囲み3人で感想を言いながらつまむ。あっという間に食べ終わるとまたアーニャは次の屋台へ向かって走り出した。
 こっちこっち!と手招きされた先は、こんがりといい匂いがするホットドッグのお店だった。
「これは美味い!噛むたびに肉汁が溢れてくる」
「んー!ほんとです!普通のソーセージと違ってもっと肉肉しい感じですね、スパイスもよく効いています」
「あふっあふっ!あちくてアーニャだけたべれない!」
「あら、ふーふーして冷ましてあげますね」
 その後も何件か屋台を周り、3人は空きベンチでコーヒー休憩をしていた。
「調子に乗って食べすぎましたね、ホテルのディナーはちょっと時間を遅らせましょう」
「美味しそうなお店が多くて1日では回り切れませんね」
「アーニャもうおなかいっぱい…」
 そういいつつもアーニャの視界には、人混みの向こうにある美味しそうなジュース屋さんを捉えていた。ちちとははだけこーひーのんでずるい!アーニャもあれのみたい!そう思うが先に体が動いてしまっていた。
「おれんじじゅーすください!」
「はいよ…お嬢ちゃん金はもってるのかい?」
「おかねはちちが…しまった!ちちよんでくるのわすれてた!」
「それじゃジュースは売れないよ、またお父さんと一緒に来てくれ」
「うい!ちちよびにいってすぐもどってくる!」
 踵を返してロイドたちのもとへ戻ろうとするが、人が多すぎてどちらからきたかわからなくなってしまった。
「これはぴんちのよかん…アーニャ、もしかしたらまいご?」

 すぐに自分の置かれている状況がわかったアーニャ、ロイドたちが探しに来てくれることを期待したいがこの人混みではきっと小さな自分を探し出すのはもっと難しいのではと感じていた。
 こころのこえきいてアーニャのことさがしてるちちとははをさがそう!と意識を集中させるが、こう人が多くてはやはり無理だった。
 このピンチをどう切り抜けようか考えていると頭上から声をかけられた。
「お嬢さん迷子かい?お父さんとお母さんは?」
「アーニャちちとははとはぐれた、いまさがしてる」
「そうかい、じゃおじさんも一緒に探してあげよう。あそこの階段の上からならよく見えるんじゃないかな」
「おぉ!おじさんあたまいいな!」
「よし、じゃ危ないから一緒に手を繋いでいこう」
 うい!と手を差し出しそうになった時、男の心の声が流れ込んできた。
 ふふふ、やっぱりガキを誘拐するのは楽勝だな。あとはこのまま階段上の仲間のところまで連れて行けばいいだけだ。アーニャは咄嗟に、こいつわるいやつだ!アーニャのことゆうかいするつもりなんだ!と手を引っ込めた。
「ん?どうしたんだい?さぁいこう」
「いやだ!アーニャいかない!おまえわるいやつ!」
「何を言うんだ、失礼なガキめ!一緒に探してやると言ってるんだからこっちへこい!」
 男はアーニャを小脇に抱え、叫ばれないように口を塞いだ。アーニャがいくら暴れても男の力に敵うわけもなく、必死に声にならない声を上げていた。
「んー!んー!」
 このままじゃほんとうにつれていかれる!どこかにうられる⁉ またけんきゅうじょにつれていかれる⁉ たすけて!ちち!はは!アーニャは涙目になりながら心の中で訴えるが、賑わっている広場では誰一人として振り向く人なんていなかった。
「おい、うちの子をどこへ連れていくつもりだ」
 聞きなれた低い声に顔をあげると、怒りを露わにしたロイドが男の手を掴んでいた。
「いだだだだだ!何すんだよ!迷子だったから一緒に親を探してやろうとしただけだろ!」
「ちーちー!」
 痛みで咄嗟にアーニャを離し、ロイドに掴まれた腕を抑えながら答える。
「こいつアーニャのことゆうかいしようとしてた!かいだんのうえになかまがいるって!」
「なんでそのことを⁉」
「ほう、迷子になった子供を誘拐して一体どうするつもりだったのか…まぁそれはあとで警察にでも説明してくれればいい」
「これだけ多い人の中で捕まるわけないだろ!」
そういいロイドたちから逃げようとした男は、後ろに立っていたヨルの蹴りによって崩れ落ちた。
「ぐはぁっ!」
「うちのアーニャさんに手を出すなんて、絶対に許せません!」
 その後近くの警備員によって男は拘束され、アーニャの証言により階段上に控えていた仲間も捉えられたようだ。
「ちち、はは…ごめんなさい」
「本当に心配したんですよ」
「ったく、目を離した隙に居なくなったかと思えばこんな事件になるなんて…だからあれほど手を離すなと言ったんだ」
「うぃ…ぐすっ、ごべん…ごべんなさぁいぃぃいい!!」
「なっ、なにもそんな泣かなくても…」
「ぐすっ、アーニャ…どこかにうられるかとおもった…ぐすっ、またちちとははとはなれちゃうかとおもったからぁぁ!」
「よしよし、怖かったんですよね」
 ロイドは周囲に分からない程度に眉を寄せた。アーニャの過去をすべて知っているわけではないが、施設を出入りしたことと記憶が重なったのかもしれないな…。ヨルの胸で泣くアーニャを交代するようにロイドが抱っこする。
「これなら絶対に離れたりしないだろう」
「ちち…」
「ふふ、そのスタイルのアーニャさん久しぶりに見ました」
「さぁ、少し食べすぎたから散歩しながらホテルに戻ろう。これ以上食べるとディナーが入らなくなるぞ」
 ロイドに抱っこされると視線は驚くほど高く、屋台が遠くまで見渡すことができた。
「あ!ちちまって!あそこのじゅーすやさんいくってやくそくした!」
「そんな約束いつのまに…まぁいい、それで最後だぞ」
 怖い思いをしたまま帰ると後味が悪いだろうからな、と思ったロイドはアーニャの指差すジュース屋の屋台へ向かった。
「おじさん!ちちつれてきた!オレンジジュースくださいな!」
 ロイドに抱っこされ、いつもより高い目線でなんだか気分も上がってしまう。
 久しぶりの父の腕の中、満面の笑みでオレンジジュースを吸い込む。

 

「みなさんようこそ、今日はいい天気で波も穏やか、絶好のシュノーケリング日和ですね」
 真っ黒いウエットスーツに身を包んだ人たちが沢山いるというあまり見ない光景を呆然と眺めながら、なんだかすぱいしゅうだんみたい!と密かに心躍らせていた。
「ちち、これぼーだんじょっきみたい」
「ライフベストだ、危ないからちゃんとつけてるんだぞ」
「おさかなさんみれる?」
「ガイドさんがあぁ言ってるから、きっと見れるんじゃないか?」
「楽しみですね、私もすごくわくわくしてきました」
 ここのシュノーケリングは初心者向けとなっていて、アーニャのような泳げない子供には専用の浮き輪を貸し出してくれるらしい。
 ガイドさんに説明を一通り聞いた後、順番に海へ繰り出していった。
「うわー!おさかないっぱい!すごい!なにこれ!すごい!ちいさくていろんないろのおさかないっぱい!」
「本当にすごいですね、こんなに沢山のお魚さんが見れるなんて」
「しろとくろのしましま、おれんじとしろのしましま、きいろもくろも!しましまいっぱい!」
「そうですね、しましまのお魚がいっぱいですね」
 始めてみる海の中は想像よりもカラフルだったようで、宿題の絵日記はこれで決まりだなとロイドははしゃぐアーニャとヨルを眺める。
「しましまはおさかなさんににんきなのか?りゅーこーのふぁっしょんってやつか」
 おさかなさんのせかいにもりゅーこーってあるんだなーと感心するアーニャになんと突っ込めばいいのか、これは突っ込む時なのかと困惑するロイド。きっと仲良しのあの子から教わったんだろうなと想像しつつアーニャに真実を告げる。
「アーニャ、あれは魚のファッションではない。分断色と呼ばれる敵を欺くための模様だ」
「てきをあざむく!おさかなさんたちいったいなにもの⁉」
 何者でもないんだが…これは説明すると長そうだな、と説明を諦めた。
「ところでちち、いるかとくじらはどこだ?」
「は?」
「アーニャ、いるかとくじらもみたい」
 スパイとは常にあらゆる可能性を想定しておくものだが、しかしいくら優秀なロイドといえどこの発言は完全に予想外だった。
「イ、イルカとクジラ…?」
 まさかアーニャが言うイルカとクジラというのは、あの大型哺乳類のイルカとクジラのことか…⁉ あれがこの浅瀬で見れると思っていたというのか⁉ くっ!子供の想像力とは恐ろしいものだ…ここは親としてきちんと説明せねばならない、いやしかしそれではこの子の夢を壊してしまうことになる!どうにかしてここにイルカかクジラをおびき寄せるか…いや、さすがに俺一人では現実的に無理か…一体どうすれば!とロイドが苦悩しているのを見て、いるかとくじらはみれないのか~と落胆するアーニャだったが、次の瞬間にはもう別のことに意識がいっていた。
「アーニャさん!カメさんです!カメさんがいらっしゃいました!」
「かめ!アーニャもみるー!ちち、いるかなんてもういいからはやくかめみにいくぞ!」
「え?イルカとクジラはいいのか?」
 というロイドの困惑した声はもうアーニャには聞こえておらず、すぐ近くまで泳ぎに来ていたウミガメを見ていた。
「はは、このおさかなさんたちつかまえたらたべれる?」
「どうでしょう、食べれるかわかりませんがつかまえることならでできますよ」
「おー!じゃおおきくなるまでアーニャがそだてる!」
「素敵ですね!それじゃどの子にーー」
「待て待て待て待て!」
 ノリノリで魚を捕えようと、妙な殺気を含んだ構えのポーズに入っていたヨルを慌てて止めに入る。

 

「アーニャきかんした!」
 3日ぶりの懐かしい我が家へと帰ってきたアーニャは、先に帰宅していたボンドとフランキーに出迎えられた。
「ボンド!いい子にしてたか?ごはんはちゃんとたべたか?さびしくなかったか?」
ボンドもアーニャに会えたことが嬉しいのか、アーニャを押し倒す勢いだ。
「よぉ、どうだった家族旅行は」
「もじゃもじゃ!なんでいる!」
「なんでじゃねーよ!ボンドのこと迎えに行ったの俺だぞ!」
 玄関先で何やってるんだと言いながら、ロイドは大きなキャリーケースを運び入れる。
「ご苦労だったな、ちゃんとお土産は買ってきたぞ」
「当たり前だろ、それくらいサービスしてくれなきゃやってらんねーよ」
「フランキーさんのおかげでとても楽しい思い出ができました。もし機会があれば次は是非皆さんで行きましょう」
 いらん気をつかわないでいいですよ、と呟きながらロイドがお土産の入った荷物をほどいていく。
「アーニャすごいたいけんした!うみのなかまるみえだった!おさかないっぱい!」
「ほぉ、どんな魚が見れたんだ?」
「んーと、きいろとかしろとかおれんじとか…とにかくしましまなおさかないっぱいだった!うみのなかではしましまがはやってるらしい」
「へー!海の中では縞々が流行ってるのか!すごいな!」
 楽しそうな2人を横目にヨルは思わず微笑む。
「アーニャさん、楽しそうでよかったですね」
「えぇ、夏のいい思い出ができました。ヨルさんも楽しめましたか?」
「はい、初めての体験ばかりでしたが、とても楽しかったです」
 それはよかったですと呟き、お土産をいくつか抱えて楽しそうな2人の元へ。
「ほら、これは地元で有名なワインとつまみだ、それとこれはアーニャから」
「お、なんだなんだ?」
「わすれてた!これアーニャがうみでひろったやつ!われたかいがらと、よくわかんないかいそうをほしたやつ」
「お、おう…アリガトナ…」
 これ一体何につかうんだ?新しい芸術か?とアーニャからもらった謎のお土産を眺めるフランキー。そしてロイドはもう一つ持っていたお土産をアーニャに渡した。
「これは友達にあげるんだろ?」
「うぃ!ベッキーとじなんにあげるやつ!」
 よろこんでくれるかなー?とお土産を抱えながら友のことを思うアーニャをつい微笑ましく思ってしまう。
「他には何買ったんだ?」
「同じだよ、自分たち用のワインとつまみだ」
「なんだよ、もっとぱーっと買って来ればよかったのに」
「荷物が重くなるからな、向こうでいい体験ができたからそれで十分さ」
「ふーん…ま、そういうもんかね」
 つまらなそうにいうフランキーの口角は、楽しそうな妻子を眺めるロイドと同じくらい上がっていた。
「じゃ俺はこれで」
「フランキーさん、ありがとうございました」
「もじゃもじゃ、またな!」
 軽く手を挙げながら気だるそうに帰っていくフランキーを見送ると、いつもの日常の空気に戻った気がした。
「アーニャ、またひこーきのおでけけいきたい!」
「そうですね、また行きたいですね」
「さぁ今日は疲れているだろうからゆっくり休もう」
「ロイドさんは明日からお仕事でしたよね」
「はい、またアーニャと家のことをお願いしてしまいますが…」
「大丈夫ですよ、任せてください」
 有休が溜まっていたとはいえ4日も休みをもらったから、きっと明日からはこき使われるだろうな…とロイドは内心不安だった。

 そしてそれから数日後のある日のこと、ロイドは旅行ぶりの休日をリビングで過ごしていた。
予想通りの激務を乗り越え、今ここにいる自分を猛烈に褒めてやりたいと珍しくソファで天井を眺めいたときだった。
「あと5日でアーニャの夏休みも終わりか…長いようであっという間だったな。楽しい夏休みにしてやれただろうか…ん?そういえば何か大事なことを忘れているような…」
 任務のやり残しか?いや、それは無いはずだ…だとすると一体…苦悩するロイドの元に、ボンドの散歩から帰ってきたアーニャがやってきた。
「ちちどうした?またはらいたか?」
「いや、そういうわけじゃ…アーニャ…そうだおまえだ!」
「うお!ちちきゅうにどうした!」
「アーニャ、お前宿題は終わったのか?」
「あ……アーニャ、もういっかいボンドのさんぽに…」
 いらぬ地雷を踏んでしまったと言わんばかりに冷や汗を流しながら回れ右をするアーニャだったが時すでに遅し。
「まさか旅行から帰ってきてからなにも宿題をやってないわけじゃないよな!?今すぐ宿題を全部持ってくるんだ!」
 逃げ場はないと悟ったアーニャは大人しく宿題をすべて持ってきた。ガクブルと震えながら1枚1枚ページをめくっていくロイドを見つめる。
「まさかこんなに残っていたとは…!あと5日で夏休みが終わるんだぞ!いつものペースでやってたら終わるわけがない!いいか!宿題が終わるまでは外出禁止だ!」
「ひぃぃぃ!ちちのおにー!」
 涙目を浮かべながらボンドの背後に回り込み隠れるが、鬼のような形相のロイドが近づいてくる恐怖に耐えきれずボンドはサッとその場を退きアーニャを差し出した。
「ボンド!アーニャをうったのか!うらぎりものー!」
「2学期早々トニトをもらって来られたら大変だからな、終わるまで俺がしっかり付き合てやる」
 ハンドラーには悪いが、もう後5日有休申請させてもらおうと目論むロイドの心を読んだアーニャ。これは宿題が終わるまで本気で離れてくれないと危機を悟り、魂が抜けたような気持で残りの5日間を過ごした。