キャスパーの書庫

キャスパーです。 大好きなアニメの妄想モリモリの二次創作小説をぽつぽつと書いていこうと思います。 アニメ全般大好きなので、広く繋がっていけたらいいな。

あの日のお返しを

 

ーあらすじー

バレンタインのお返しをするべきかしないべきかと悩むダミアン
毎年数えきれないほどのチョコを貰っていたが、お返しをしたことなんて今まで一度も無かった。
しかしアーニャからのチョコは本気の本命チョコだと思っているため、お返しをしないのはデズモンド家の恥なのではとも思っている…
お返しの品は何がいいか、それすらもわからずに悩むダミアンの可愛らしい葛藤を描く。

 

別作品『アーニャのバレンタインミッション!』のセット小説です。
そちらを先に読んでいただけるとより面白く感じていただけると思います。

※昨年書いた過去作の修正版です

 

 

  ♢  ♢  ♢  

 

 

 それはホワイトデー 一週間前のある昼食時のこと。

 なんで俺様がこんなことで頭を抱えないといけないんだ!相手はあのちんちくりんだぞ!しかもあと一週間しかないって言うのにくそぉ!
 ダミアンの珍しく荒れた姿に思わずエミールとユーインは声をかけた。
「どうしたんですかダミアン様?ご飯進んでいませんけど…」
「お腹でも痛いんですか?」
 本日のAランチ“国産牛フィレ肉のポワレ 季節の温野菜とマスタードソース“を食べる手を止めて、何やら難しそうな顔をしているダミアンを不思議そうに見つめる。
 そもそもだ!あいつにお返しをする必要なんてあるのか?毎年数えきれないほどのチョコを貰っているけど、お返しをしたことなんて今まで一度も無いんだ!あいつにだけわざわざお返しを用意する必要なんてないだろ!
 そうだそうだ!と自身に言い聞かせ、肉を頬張るダミアン。その様子を友人たちはキョトンと眺めていた。
 でもあの日、アイツはあそこまでして俺にチョコを渡してくれたんだ…、学校に持ってくるなんてリスクを犯して、寒い中ずっと待ち続けて…郵便で送りつけてくる他のやつらとは違った…。
 半ばボーっとしながら皿の上の野菜にフォークを刺し口に運ぶ。
 それに、アイツのチョコは本気のチョコって言ってたからな、それって…つ、つまり本命ってことだろ?あいつ…俺のことす…うっ!
「大丈夫ですかダミアン様!」
 喉に詰まらせたのか、胸をドンドンと叩きながら水を一気に飲み干す。
「さっきからおかしいですよ、ダミアンさま」
「ゴホッ!ゴホッ!…だ、大丈夫だ…」
 そんな本気の気持ちにお返ししなかったら、デズモンド家の品位を疑われる…!そうだ、俺様の格を見せつけるためにもちゃんとしたお返しを用意してやる!これはアイツのためなんかじゃない!俺様のためだからな!
 ところで、お返しをすると決めたのはいいが、何をあげればいいんだ?アイツの欲しい物なんて知らないし、好みだって知らねぇぞ…だからって本人に聞くわけにもいかないし、ブラックベルなら何か知ってそうだけど、アイツに聞くのだけは絶対に嫌だ…。
 大人びた恋愛ドラマが大好きなベッキーにアーニャの好きなものなどを聞いた日には、ニヤニヤとからかわれるのが目に見えていたからだ。
 ここは信頼のおける友人に聞いてみるのがいいだろうと、隣に座っている2人に声を掛ける。
「なぁ、お前らだったらホワイトデーのプレゼントは何を渡す?」
「急にどうしたんですか?」
「ダミアン様、誰かにプレゼントするんですか?」
「ち、ちげぇよ!ただちょっと聞いてみただけだっつーの!」
 友人には素直なダミアンでも、こればかりは隠し通したいらしい。
「んーそうですねー…相手が誰かにもよりますけど、アクセサリーやハンカチ、あと去年おばあ様には日傘をプレゼントしました!」
「俺はやっぱり美味しい物を送ります!美味い物はみんな喜びますから!」
 んーアイツにアクセサリーなんて似合わねぇし、ハンカチってのもなんかイマイチだな。美味い物…庶民が喜びそうな美味い物って言ったら、やっぱりキャビアとかフォアグラとかか?
「あとは無難にお菓子ですかね。誰にでも喜ばれますし」
 なるほど、菓子はいいかもな。菓子なら何でも喜んで食いそうだし。
「お前ら、サンキューな!」
 悩みが解決してスッキリとした表情のダミアンに、エミールとユーインはきょとんと顔を見合わせた。

 

 

 

 とある休日、お返しのお菓子を求めて、近くの高級デパートにやってきた。
「見事にホワイトデー一色だな、これじゃ余計に迷っちまうじゃねぇか」
 売り場のお菓子や小物、アクセサリーから服やカバンに至るまで、白を基調とした装飾で美しく彩られていた。
「わざわざ俺様が出向いて買って来てやってるんだ、あっと言わせるようなものを選んでやる!」
 煌びやかなアクセサリーや婦人服売り場を抜けた先には、美しいお菓子で溢れていた。
 みずみずしいフルーツが彩られたケーキや繊細な飴細工、可愛らしいクッキーなど、すべて超一流パティシエによって作られたものだ。
「豪華なケーキや派手な飴細工がいいけど、そんなもん持って行けねぇからな。小さいお菓子だと…マカロンとか焼き菓子辺りが無難か?いやだから無難じゃなくてあっと言わせるようなものをだな…小さくてあっと言うもの、小さくてあっと言うもの…」
 自分に課した条件の難しさに頭を抱えていると、突然女性スタッフが話しかけて来た。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
 ダミアンが居た店のスタッフと思わしき女性は、膝を折り目線を合わせるようにして問いかける。
「えっと…ホワイトデーのお菓子を…」
「ホワイトデーのプレゼントですね、お相手はどういったお方でしょうか」
「あ、相手?相手は…その…」
 アイツは俺の何なんだ⁉と、友達じゃねぇし…ただのムカつく奴というか、アホでちんちくりんで短足で、それから…
「た、ただの…クラスメイト…」
「それでしたら、こちらの焼き菓子やキャンディーなどの詰め合わせセットはいかがでしょうか。種類も豊富ですので、お好みの物をお選びいただけます」
 詰め合わせは見た目も可愛くいろいろ入っててアイツも喜んでくれると思った。しかしあまりにも無難というか、即決できるようなものではなかった。
 そんな俺の心中に気付いたのか、女性スタッフは店内の他の商品もご覧くださいと促した。
 そう言われて可愛らしい店内見て回っていると、壁に貼ってある張り紙が目についた。
 なんだこれ…『ホワイトデーにあげるお菓子で示すお返しの意味は?』あげるお菓子に意味なんてあったのか。えーっと…

 

・キャンディーの意味は、「あなたが好きです」
・マシュマロの意味は、「あなたが嫌いです」
・マドレーヌの意味は、「あなたともっと仲良くなりたい」
・マカロンの意味は、「あなたは特別な人」
・クッキーの意味は、「あなたとは友達のままで」
・キャラメルの意味は、「あなたといると安心する」
・バームクーヘンの意味は、「幸せが長く続きますように」

 

 こ、こんな意味があったのか…キャンティーはあなたがす、すす、すきです⁉マシュマロはお返しにしてはダメだろう、マカロンもキャラメルも…!あぁぁぁ!何あげたらいいか余計にわかんなくなったぁぁぁああ!
 赤面し悶えるダミアンの元に、先ほどの女性スタッフが再び声をかけた。
「どれが気になる物はありましたでしょうか?」
「い、いえ、えっと…ちょ、ちょっとやめておきますーー!」
 その場を逃げるように走って行ったダミアンを、女性スタッフは不思議そうに見送った。
 結局何も買うことなく店を出て来てしまい、自分がどれだけ難易度の高い壁にぶち当たっているかを実感した。
 こんなんじゃ下手に菓子なんて渡せねぇ…まぁアイツのことだから意味なんて知らないだろうけど万が一ってことがあるだろ!もし変な意味で取られたら困るかなら!
 それよりなんで俺様がアイツのためにこんなに悩まなくちゃいけないんだ、貴重な休日を使って来たっていうのに…あーなんか疲れたし、もう帰るか。

 

 

 

 あの日、デパートでお菓子を買うことが出来なかったダミアンは、結局お返しを用意できないままホワイトデー当日を迎えてしまった。
 あれからいろいろ考えたけどどれもパッとしなくて…結局手ぶらで来ちまった。ああぁぁぁどうすんだよ!いやどうもこうも無い物は無いんだ!しょうがないだろ!
 少し暖かくなってきた穏やかな天気とは裏腹に、ダミアンの心中は酷く荒れていた。
 そもそも俺がアイツにお返しをあげる必要なんてないんだ!一応貰ってやったが、別にお礼をしないといけない決まりが無いからな!
 足を進むにつれて教室が近づき、アーニャの顔を思い浮かべてしまう。
「おはようございます」
「…おはようございます」
 それにバレンタインほどじゃないけど教師の目だってあるんだぞ、そんなリスクを犯してまで持ってこれるかよ。…そう思うとアイツどうやって持ってきたんだ?ある意味凄くないか?
 アーニャの偉業に謎の感心を抱いていると、突然背後から声をかけられた。
「じなん、おはやいます!」
「うわっ!お、お前急に話しかけんなよな…!」
 今一番会いたくない時に限ってどうして会うんだよ!お返しの催促とかされないよな?どうする…とりあえず今は逃げるしかない…!
「じゃ、俺は先に行くからな!」
 何も持っていないということに多少の罪悪感を抱いていたダミアンはアーニャと目を会わすこともなく、そう言い終わるまえにはもう走り去っていた。
 ガーン!なぜかにげられた、なんで?アーニャなんかやらかした?
 ダミアンの可笑しな挙動のせいで、要らぬ勘違いをしてしまったアーニャは必死に頭を巡らせる。
 どうしよう、あやまったほうがいいのかな…でもなにあやまるかわかんないし…じなんにちょくせつきいてみる?
 ダミアンと不仲になればプランBが台無しになってしまうことを危惧したアーニャは、ロイドから教わった「こじれる前にすぐに謝った方がいい」という言葉を思い出しすぐに走り出した。
「じなんまってー」
「な、なんで追いかけてくるんだよ!」
「アーニャ、おまえにききたいことがーー」
「こっちくんなって!」
 アーニャに何を聞かれるのかと疑問にも思ったが、それよりも反射的に逃げる方が先だった。
「むっ!じなんなんでアーニャからにげる!」
「に、逃げてねぇし!お前が追いかけるからだろうが!」
「じなんがにげなければいい!」
「だから逃げてねぇつーの!」
 2人はそのまま言い合いながら教室を目指して走る。その光景は清々しい朝のイーデン校の中ではかなり目立つもので、教室の前で待ち構えていたヘンダーソン先生に「ノット・エレガント!」とお叱りの言葉を貰う羽目になった。
 その後もアーニャは諦めることなく休み時間のたびにダミアンの元へ詰め寄ったが、ことごとく逃げられていた。
 なんでそんなに追いかけて来るんだよ、まさかこいつ俺からお返しを待ってるのか⁉
 なんでじなんにげる、よくわかんないけどはやくなかなおりしないとプランBが!せかいへいわのため!アーニャのため!
 そんなに俺からのお返しが欲しかったのか⁉持ってこれるわけねぇだろバカ!

 2人の見当違いな追いかけっこは、放課後まで続いた…。

 

 

「じなんどこいったー!」
 アーニャの捜索から逃れるため、ダミアンは裏庭の花壇に身を隠す様にして隠れていた。
 アイツいつまで追いかけてくるつもりだよ…隙を見て帰らないと、こんなことにいつまでも付き合っていられるかよ。
 今日一日アーニャに追いかけまわされうんざりとしているダミアンは、もはや何故追いかけられているのかも忘れかけていた。
「バカバカしい、俺は帰るぞ!」
 そう言って立ち上がるとスタスタと歩き出した。アーニャに追いかけまわされたせいでおやつを食べ損ねたが、エミールたちはまだ食堂にいるだろうかなどと考えながら歩いていたが、ふと足を止め隣に咲き誇る綺麗なバラに目を向けた。
 やっぱり、こんなの俺らしくねぇ…お返しの意味とか、そんなくだらねぇことに囚われて自分の言いたいこともちゃんと言えないなんて、バカとしか言いようが無いだろ…。
 自分の愚行に嫌気がさし、憤りを感じていた。そして踵を返すと、自分の名前を呼ぶ少女の声が聞こえる方に向かって歩き出した。

「あ!じなんみっけ!」
「いつからかくれんぼになってたんだよ、ていうかお前が見つけたんじゃなくて俺がお前を見つけたんだ」
 どうゆことだと、きょとんと頭にはてなを浮かべているアーニャに近づき、ダミアンは後ろ手に持っていたものをアーニャに差し出した。
「これお前にやる、さっきそこで摘んだやつだけど、その…この前のチョコ、手作りのわりにはそこそこ美味かったぜ」
 100%のうち何%の気持ちを表せただろうか、どれくらいの気持ちがアーニャに伝わっただろうか。恥ずかしい気持ちを必死に隠しながら、それでも精一杯自分の気持ちを伝えたつもりだった。
「きれいなバラ…でもなんでだ?」
「なんでって今日はホワイトデーだろうが、だからこの前のチョコのお返しだよ」
「ほわいとでー?チョコのおかえし?」
「まさかおまえホワイトデーを知らないのか?」
 知らないと首を振る少女に衝撃の事実を突きつけられた。
「じゃぁ俺は何のために追いかけられてたんだ?」
「じなんがなんかおこってるみたいだったから、アーニャなんかやらかしたのかとおもって」
「嘘だろ…俺は今日一日無駄に走ってたってことかよ」
 さっきまであんなに悩んでたのは何だったのかと、今日の行動が徒労だったことを悔やんだがもはやその思考すら無駄だと思えてしまっていた。
 ダミアンが脱力したことなど気付きもしないアーニャは、ダミアンからの初めてのプレゼントに心躍らせていた。
「じなん、あざざます!アーニャおはなもらったのはじめて!」
 自分を見つめるキラキラとした彼女の瞳がバラに向けられ、嬉しそうにはしゃぐ姿があまりにも眩しかった。
 はは…なんだかバカらしくなってきた…いや、実際俺はバカだったんだ、最初から逃げたりしないでちゃんとコイツと向き合ってれば、こんなに遠回りすることも無かったのに…コイツばっかりに言わせるわけにはいかねぇな…。
 すると意を決したようにアーニャを真っ直ぐと見つめた。
「バレンタインのチョコありがとな…、お前がそこまで本気だと思わなかったから、その…嬉しかったっつーか、俺もお前にお礼したかったんだ…。ほんとはお菓子とかお前の好きそうなものにしたかったけどいろいろあってダメになっちまって…そんなもんしか渡せなくて悪いな」
 自分が今どんな顔をしているかなんて考える余裕もなかったが、時間がもう少し遅ければ夕日が自分の顔を隠してくれるのではないかと頭の片隅で思っていた。
「じなんがアーニャためにくれたものならなんでもうれしい!」
 いつも通りの彼女の笑みに一瞬心がトクンと音が鳴ったように感じた。その不思議な感情はなんと言うのか、この時は知らないふりをした。
「そうか、それならよかった」
「うい!んじゃアーニャおはなさんかれるまえにかえる!またなじなん!」
「おう、またな!」
 思いのほか自分の声が大きかったことに少し驚きながら、走り去る後ろ姿を見送った。
「さて、俺も帰るかな」
 一呼吸つき、思わずほころんでしまった頬を必死に引き締めた。

 

 

 

「ちち!きょうはいいはなしがある!」
 ロイドの帰りを待ちわびていたアーニャは、どうした?と興味の無さそうなロイドに誇らし気な表情を向けた。
「アーニャきょう、ほわいとでーでじなんからこれもらった!」
 アーニャのいい話など大抵いい話では無いと内心思ってたロイドに、アーニャはニヤリとダミアンからもらったバラを見せつけた。
 デズモンドからバラを?そうか、今日はホワイトデーだからこの前のチョコのお返しというわけか。正直お返しまで期待してはいなかったが、思ったより好感触だったようだな。
 ここは素直に喜ぶべきところだと、アーニャの頭をポンポンと撫でた。
「よかったな、素敵なプレゼントじゃないか」
 プランBじゅんちょうってちちにアピール!フッ、アーニャぬかりなし。
「うい!じゃアーニャあそんでくるー」
 満足したのかさっさと部屋に戻って行くアーニャを見送ると、花瓶に飾られた一凛の白いバラに目を向けた。
 白いバラの花言葉は、『純潔』『深い尊敬』それと『私はあなたにふさわしい』…まぁ小学生の男子児童が花言葉まで意図しているとは思えないが…。
 アーニャの嬉しそうな表情を思い出し、自分が自然と父親らしい喜びを感じていたことに気づいたが…それは機密事項となった。

 

 

 

アーニャのバレンタインミッション!

 

ーあらすじー

ダミアンにバレンタインチョコを渡すために、奮闘するアーニャとロイド
しかし学校にチョコを持って来てはいけないため、どうやってダミアンにチョコを渡すか…!
立ち塞がる規則!教師!一歩間違えればトニトの危機!
プランBのため!世界平和のため!
アーニャは難易度S級ミッションに挑む!

※昨年書いた過去作です

 

 

  ♢  ♢  ♢  

 

 

「そういえば、もうそろそろバレンタインね」
 今月から始まった期間限定のデザート、チョコプリンを上品に食べているベッキーが言った。
「ばれん…?」
「バレンタインよ。まさかアーニャちゃん知らないの?」
「しらない」
 目の前のチョコプリンにしか興味が無いのか、アーニャは食べる手を止めない。
「はぁ~…いいアーニャちゃん。バレンタインっていうのは、乙女にとって大事な一大イベントなのよ!好きな人にチョコを送る、一世一代の大勝負!」
 ベッキーはつい熱が入り、持っていたスプーンで宙を指した。
「すきなひとに、チョコ?」
「そうよ♡アーニャちゃん、アイツには渡さないの?」
 ニヤニヤと楽しそうな笑みを向けるベッキー
「アイツ?」
「ダミアンに決まってるでしょ♡距離を縮めるチャンスじゃない♡」
「べつにすきじゃない」
「またまたそんなこと言っちゃって♡ダミアンもアーニャちゃんからチョコもらったら、きっと喜ぶわよ♡」
(じなんにチョコあげるとよろこぶ→じなんとなかよくなれる→プランBだいせいこうする!?)
よくやったぞアーニャ!とロイドに褒められる場面を思い浮かべるアーニャに、ベッキーが悪意無く放つ。
「あ…でも学校にチョコ持ってくるのは禁止だったわね」
「え゛…」
 自分の発言で熱が冷めたのか、ベッキーは再びチョコプリンを食べ始めた。
「そりゃうちの学校はダメでしょ。当日は厳戒態勢で先生達が見回るって噂を聞いたことがあるわ。はぁ~、これが普通の学校だったら、好きな男子と目が合うけどお互いソワソワしちゃう感じとか、放課後や昼休みに呼び出してチョコを渡すドキドキな青春イベントが待っているのね♡」
 キラキラした目で遠くを見つめるベッキーとは対照的に、アーニャは動揺していた。
(チョコもってこれない→じなんにチョコわたせない→じなんとなかよくなれない…!なかよしさくせんダメだと、べんきょうがんばらなきゃいけなくなる…!)
「どうしよう…じなんにチョコわたせないと、アーニャぴんち…」
チョコプリンを食べ終えて満足そうなベッキーはスプーンを置いた。
「ピンチなんて大袈裟ね。でもチョコのように甘くとろけるような思いを伝えたいっていうアーニャちゃんの気持ちはよくわかるわ♡」
ベッキー、ぜんぜんちがう…)
「チョコを渡す方法も考えなきゃだけど、どんなチョコにするかダミアンの好みも知っておかないとね、それとなく聞いてみたら?」

 


 昼食を終えた生徒達の過ごし方は様々だ。教室で過ごす者、廊下で雑談を楽しむ者、校庭で体を動かす者…その一角に、アーニャが探している人物はいた。
「エミール!こっちだ!」
「いきますよダミアン様っ!」
 エミールがサッカーボールを思いっきり蹴り、そのボールはダミアンの元へ。
「じなん」
「なんだよお前!邪魔すんなよ!」
「そうだそうだ!そこをどけ!」
 ダミアンのシュートを妨害しようと対面していたユーインが、ダミアンとアーニャの間に割って入る。しかし今更そんなことで臆すアーニャではない。
「じなんはどんなチョコがすきだ?」
「は?チョコ?なんだよ突然」
「いいからおしえろ」
「もしかしてお前、バレンタインにダミアン様にチョコを渡す気か!?」
 さりげなく聞く、というベッキーの助言はどこへ行ったのか。ストレートに聞いたアーニャの意図をその場で見抜いたユーイン。
(このさくせんがせいこうすれば…「やった!このチョコだいすきだったんだ!アーニャ、おまえをともだちとみとめて、いえにしょうたいしてやる!」っていうにちがいない!)
 悪役のような腹黒い笑みを浮かべるアーニャ。
「そんなもんいらねぇ」
「え…」
 アーニャの妄想は数秒で砕け散った。
「バレンタインは毎年大量にチョコが送られてくるんだよ、食いきれない程にな」
「ダミアン様はモテモテですからね!」
「え…じゃアーニャのチョコは…」
「ダミアン様が庶民のチョコなんて食べるわけないだろ!」
「身の程をわきまえろブース!」
(ガーン!アーニャのさくせん、おわった…)
「そんなことよりダミアン様!早く続きやりましょうよ!」
 というエミールの声に、あぁ…、と一度目を配るダミアン。
(もしかしてコイツ、本気で俺様にチョコを…まさか、本命チョコか!?いやいや、こんなちんちくりんからチョコもらったって別に嬉しくねぇーけど!で、でも…コイツの本命チョコほしぃ…って俺は何を言ってるんだ!)
悶々とするダミアンだったが、エミールとユーインが持ち場に戻ったのを確認するとアーニャに言った。
「お、おい!いらないとは言ったが!別にもらってやらないとは言ってないからな!」
 捨て台詞のように吐き捨てていったダミアンは、サッカーボール目掛けて走って行ってしまった。
(じなん、アーニャのほんきチョコほしいっていってた…!
チョコあげて、じなんとなかよくなるチャンス!)

 

 


「というわけで、アーニャチョコつくりたい」
「なるほど…」
 アーニャからの雑な説明を見事解読したロイドは、真剣な表情で思案していた。
(ダミアン・デズモンドがアーニャのチョコを欲しているというのは俄かに信じがたい情報だが、安易に無視することも出来ない…。それに、もしこの作戦が上手くいけば、ダミアン・デズモンドは少なからずアーニャに好意的な印象を持っているという確信にも繋がる!プランBが大きく進展するかもしれない!オペレーションストリクスを達成するため、何としてもこの作戦を成功させなければ…!)
「アーニャ、最高のチョコを作るぞ!」
「おー!」
(ちちほんきだせば、どんなミッションもよゆう…!アーニャはチョコわたすだけだかららくちん♪いしし)
ニヤリと笑みを浮かべているアーニャに、ロイドが問いかける。
「ところでアーニャ、学校にチョコを持っていってもいいのか?普段持ち物検査とか厳しいじゃないか」
「ダメってベッキーがいってた」
「…え?」
「とうじつはげんかいたいせい?っていってた」
「なん…だと…」
 その時ロイドの脳内では、一瞬にして何十通りものシュミレーションや計算が行われていた。
「ちち…だいじょぶか?」
(いや、今の情報だけで結論を出すのは早計すぎる。一度情報を集めてから再度計画を練り直す必要があるな…)
「アーニャ、お前に一つ聞いておくが…学校にチョコを持っていってはいけないんだな」
「う、うい」
 ロイドの絶望的な表情にうろたえるアーニャ。
「つまり、チョコを持っていったのがバレたら、お前も…恐らく受け取ったダミアン君もトニトを貰うことになるかもしれない…それでも渡したいのか?」
(オペレーションストリクスのことを考えればアーニャに有無を問わずチョコを渡させるべきなのだが…プランBはあくまで友好的な関係。アーニャ自身がその気になってくれなければ意味がない…)
(バレたら、アーニャもじなんもトニト…じなんにめいわくかけちゃうかもしれない。でもじなん、アーニャのチョコほしいっていってくれてた…だから…)
「アーニャ、じなんにチョコわたして、なかよくなりたい!」
 アーニャの覚悟を決めた表情を見て、ロイドは自然と微笑んだ。
「わかった。どうやってチョコを持っていくかは少し考えておく。あとは、ダミアン君にどんなチョコを渡したいかだな…」
「じなん、まいとしチョコいっぱいもらうっていってた」
 アーニャからの僅かな情報をも逃すまいと、ロイドは再び思考を巡らせる。
(やはりな…おそらくデズモンド家に取り入ろうとする名家が高級チョコなどを貢いでいるのだろう。となると高級チョコ路線はダメだな、ありきたり過ぎてインパクトに欠ける…しかし手作りチョコとなると…)
「ん?」
 ずっとこちらに目を向けているアーニャを一瞥する。
(こいつにまともなチョコが作れるとは思えない…いや、そこは俺がフォローすれば…いやいっそのこと俺が作ったチョコをアーニャに持たせたほうが…)
(ガーン!なんかひどいこといわれてる!
でもアーニャりょうりできないし、チョコもつくったことない…)
「アーニャ、これからバレンタインまで、毎日チョコ作りの特訓をするぞ!最高の手作りチョコを渡すんだ!」
(とっくん!?まいにちチョコたべれる!アーニャわくわく!)
「うい!アーニャ、がんばるます!」

 

 


 学問、スポーツ、芸術など、あらゆる分野において優れていて国内トップクラスと言われている東国(オスタニア)の首都バーリントに位置する学校…イーデン校。
 真の品各、エレガンスを持ち合わせた者だけが入学できると言われている学園に、あの男はいた。
(バレンタイン当日の警備体制を調べに来たが…当日は、特殊な訓練を受けた訓練犬を通用口に配置し、臭いでチョコを持っている物を摘発…更には授業中も校内を巡回と…。ブラックベルが言っていた厳戒態勢というのは本当だったな。懇親会の警備に比べたらなんてことないが、正直チョコ如きにここまでするか?)
 教師に扮したロイドは、半ば呆れながら窓の外を見つめる。その先に見えるのは、イーデン校の男子宿舎。
(もし学校内で渡したチョコが見つかれば、持ち込んだアーニャ、受け取ったダミアン・デズモンドまでもトニトをくらってしまう。そうなればダミアン・デズモンドから恨みを買い、プランBは壊滅的。関係回復は到底不可能だろう…。となると、学校終わりに渡すのが狙い目か。原則とし男子宿舎にチョコなどのお菓子を持ち込むことは禁止されていない、なのでアーニャが男子宿舎まで行きダミアン・デズモンドを呼び出しチョコを渡せば実質クリアとなるだろう。まぁ問題はそもそも学校にチョコを持ち込めないということなのだが…)

 

 


 ついにバレンタイン当日。ロイドがアーニャに伝えたことはただ一言だけ。
「お前はチョコなど持っていない、堂々としていろ」
 そして今、アーニャは訓練犬が待ち構えているイーデン校の正面入り口へと挑もうとしていた。
(ついにこのときがきてしまった…。アーニャ、このさくせんをせいこうさせるために、まいにちチョコたべまくった…!おいしかった!もうチョコたべられないのいやだけど、このさくせんがせいこうすれば、もうべんきょうしなくてもいい!だからアーニャは…このさくせんにすべてをかける…!)
 覚悟を決めたアーニャは勇ましかった。その歩みを止められるものなどいなかっーー
「ワンワン!」
「君!チョコを持っているね!こっちに来なさい!」
「いやぁぁぁ!ごめんなさい!許してぇぇぇぇ!!」
アーニャの目の前で、職員に連れていかれた女の子を見て、まるで凍り付いたかのようにその歩は止まった。
(あ、あぁぁ…あそこにいぬさんがいる…たしか、チョコのにおいがわかるかしこいいぬさん…!アーニャとおったら、いぬさんにほえられちゃう…?)
 アーニャはドキドキしながら、訓練犬が待ち受ける正面入り口へと足を動かす…。
(うぅ…アーニャどきどき…)
(へへっ、仕事したらエサが貰える!誰かあの匂いの出る奴持ってねぇかなー)
(いぬさんやるきまんまん…!)
(ん…?この匂いは…)
(っ…!)
 訓練犬は何かの匂いを嗅ぎ分け、その方へ鼻先を向けた。
「すみませーん!正面入り口ってここであってますか?」
 車のクラクションの音と共に若い男性の声が聞こえ、周囲に居た生徒たちはその車が放つ異臭に鼻を抑えていた。
「なんだね君は!どうしてここにいるんだ!」
 近くにいた教員が慌てて車に駆け寄る。
「あれ?今日はこの時間に正面入り口でゴミ回収するって連絡があったんですけど…」
「そんな連絡はしておらん!ゴミ回収はいつも裏の通用口からだろう!しかも曜日が違うぞ!」
 教員はゴミ収集車を運転する男性に向かって叫んだ。
「いや、そうなんですよ。でも確かにそちらの学校からうちに連絡がありましてね」
「だからそんな連絡は…クサっ!」
「すみません、今日は魚市場のゴミ回収の後なんで、ちょっといつもより臭うんですよ」
 男性は申し訳なさそうに言うが、その異臭は半端なものではなかった。周囲の生徒達もその異臭に顔をしかめているが、一番この臭いを嫌っているのは犬たちの方だ。
(うをぉぉぉ!なんだこの臭い!!鼻が!鼻がひん曲がるようだぁぁぁ!!)
「クゥゥン、クゥゥン…!」
(今だアーニャ、早く正門を抜けろ!)
(はっ!もしかしてこれちちのしわざ!あそこにいるのちち!?いぬさんのおはながつかえないうちに、ここをとおらなきゃ!)
 異臭騒動で職員たちは気を取られ、犬たちの鼻も使えない今門の突破は容易だった。ロイドの仕業だと気づいたアーニャは一目散に駆け出し、難関だった正面入り口を突破した。
(良く気付いたぞアーニャ!これで一番の問題だったゲートはクリアだ!犬たちには悪いが、これで暫く鼻は使えないだろう。校内の巡回も訓練犬がいなければどうということは無い)
 ゴミ収集車の運転席から走り抜けるアーニャの後ろ姿を見て安堵するロイド。
(さて、とっとと撤収してアーニャの元へ向かわねば。…それにしても本当に臭いな…臭いが移っていないか心配だ…)

 


ごきげんようアーニャちゃん」
ベッキー、おはやいます」
「正門で異臭騒ぎがあったって聞いたんだけど、アーニャちゃん何か知ってる?」
(ちちのしわざってしってるけど、アーニャなにもいえない…)
「…ううん、しらない」
「そう…ところで、今日ロイド様はどうされているのかしら?」
 ベッキーの眼差しが真っ直ぐアーニャへ向けられる。
(ギクッ!…ベッキー、なんでちちのこときく?)
「ほら、今日はバレンタインじゃない?愛しのロイド様にチョコをお渡したくて♡」
「えっと…わかんないけど、たぶんよるならいるかも」
「そうなの、ロイド様もお忙しいものね。じゃ今夜、アーニャちゃんのお家にお邪魔させてもらうわね」
「う、うぃ…」    
 チョコを持っていないはずだが、バレンタインという特別な日のせいか、いつもよりクラスメイト達もそわそわしているような、そんな雰囲気だった。
 ホームルームのベルがなると、1年3組の担任、ヘンリー・ヘンダーソン先生が教室に入って来た。
「おはよう諸君。ホームルームを始める前に、今から持ち物検査を行う」
えー!というクラスメイトの声がどこからか聞こえたと思うと、皆口々に不満を漏らし始めた。
「静粛に!…皆知っていると思うが、今日はバレンタインディと言って大切な人に気持ちやお菓子を送る日と言われている。もちろんその行為自体は素晴らしいものだ。イベントに限らず、常日頃から人に感謝し素直な気持ちを伝えるべきであろう…それこそまさにエェェレガンンス!!」
 思いがけないことに、ヘンダーソン先生がバレンタインに寛容だということを知り、張りつめていた教室の空気が少し緩んだ。
「しかし!だからと言って学校に必要ない物を持ってくるのはノットエレガント!!」
(ガーン!なんかいいふんいきだったのに!やっぱりだめだった!)
「というわけで、全員カバンを机の上に出しなさい」
「もー、抜き打ちで持ち物検査なんて酷いわよねぇ…アーニャちゃん?」
 動揺を隠しきれずわなわなと震えるアーニャの姿に、ベッキーは思わず小さな声で言った。
「うそ…もしかしてアーニャちゃん、チョコ持ってきちゃったの?」
「はは…ま、まさか…モッテキテナヨ」
「語尾が片言で動揺が隠しきれてないわよ…。でもどうするの、このままじゃ見つかっちゃうわよ…」
「だ、だいじょぶ…!アーニャなんにももってきてない!」
「そ、そう…?ならいいけど…」
 余りにも不自然なアーニャの言動に不安を拭いきれないベッキー。だがそうこうしているうちに、自分たちの番が回って来てしまった。
「次、ベッキー・ブラックベル、カバンを開けてみなさい。……うむ、問題なし。カバンをしまっていいぞ。…では次、アーニャ・フォージャー」
「う、うい…」
(生臭い臭いが取れず、思ったより遅くなってしまった。今はどういう状況だ?…持ち物検査か、教員の予定にはなかったものだが、これも想定内。アーニャが下手な事をしなければ問題なく通過できるだろう…)
 正門での一件を終えたロイドは、今度は清掃員に扮してアーニャの元へやって来た。
(本法なら教員に変装して何かあった場合に備えるつもりだったが、清掃員の変装も準備しておいて正解だったな。生臭い教員なんて怪しくてしょうがない)
 若干まだ残るっている生臭い自身の臭いを嗅ぎながら、視線をアーニャの方へ戻す。
「では、カバンの中を検めるぞ」
(ドキドキ、ドキドキ…しんぞうさん、とびでそう…!)
(こやつ、こんなに震えて動揺しておる!間違いない!何か隠し持っているに違いない!学園の秩序を乱す行為は許されないぞ!アーニャ・フォージャー!!)
(ひぃぃぃいいい!!)
 ヘンダーソン先生の圧を正面から受け涙目のアーニャ。その光景を見たロイドにまで不安が伝わる。
(だ、大丈夫なのか…?アイツ泣きそうになってるじゃないか…!落ち着け!落ち着くんだアーニャ!お前は何も持っていない!持っていないんだ!)
(ちちのこえ!…そうだ、アーニャはなにももってない…もってないからしんぱいいらない…!)
 ロイドの声で気を持ち直したアーニャは歯を食いしばり、堂々とヘンダーソン先生と対峙した。
(ん?目つきが変わったな…震えを堪えてまで隠そうとしているものはなんだ!)
 ヘンダーソン先生が、アーニャのカバンの中を物色し、筆箱やノートを一つずつ出していった。
「……ん、これは…?」
(っ!まさか見つかったか!?)
 ヘンダーソン先生の眼鏡の奥の瞳が一層細くなり、アーニャのカバンに入っていたものに注がれる。
(これは…手紙?宛名は…ダミアン・デズモンド…!)
 ヘンダーソン先生の瞳が、ぶるぶると震えたアーニャを捉える。
(ひっ!ア、アーニャおこられる…?)
(ダミアン・デズモンドに送る手紙とは一体…こやつ、前からダミアン・デズモンドとは一悶着あったりもしたが、まだ問題を起こそうというわけではあるまいな…)
 ギロリと鋭い視線がアーニャを射抜くように刺し、もうアーニャは限界だった。
(あわわわ…!もしかして、アーニャもうだめなのか!?またトニトもらっちゃうのか!?ちち…アーニャもうだめそう…)
(しかし流石に手紙の中まで検めるわけにもいくまい。まぁ手紙自体は規則違反ではないからな…何事もない事を祈るぞ、アーニャ・フォージャー)
(あれ?…アーニャ、ゆるされた?)
(しかしまだ何か隠し持っているはず!手紙ごときであれほど動揺するはずがないと!この私の勘がそう告げておる!)
(まだおわってなかったー!)
 手紙への疑念は張れたが、その後もヘンダーソン先生は執拗にアーニャのカバンを物色する。
(くそっ!まだ続けるつもりか…!それ程までに疑われているなんて…アーニャは普段どんな行いをしているんだ…)
(ちち!アーニャなんにもわるいことしてない!たまにねてたり、ちょっときいてなかったりするけど…それだけだから!)
 アーニャが心の中で言い訳をしている最中にも、ヘンダーソン先生の手は止まることは無かった。
ティッシュ…!消しゴム…!鉛筆削り…!なんかよくわかんない食べカスのゴミ!!ないないないない!!何も持っていないだと!?可笑しい!私の勘が外れたというのか!!)
「ハァ、ハァ、ハァ…ミスフォージャー…カバンをしまいなさい…」
「うい…」
(こ、こんどこそおわったのか…?)
(まさか、手紙一つであんなにも震えあがっていたというのか…?ふむ、私の勘も鈍ったのかもしれん。これは…ショックだ…)
(まったく、冷や冷やさせてくれる…。アーニャのカバンをあらかじめ二重底にしておき、その大きさに違和感が出ないよう数日前から使用し、周りの目を馴染ませておいてよかった。おかげで二重底に仕込んでおいたチョコはバレずに済んだな)
(ちち、アーニャのカバンにそんなことしてたのか、しらなかった…!こんどアーニャもなにかかくすとき、これつかってみよう!)
 無事に持ち物検査をクリアし安堵したアーニャ。ロイドも一瞬安堵の色を見せたがまたすぐに険しい表情に戻った。
(訓練犬と持ち物検査は突破したがまだ作戦は終わっていない。…そう、チョコを持ち込むことが目的ではなくダミアン・デズモンドに無事にチョコを渡すことが最終目標だ。頼むぞアーニャ…)

 

 


 そう、まだアーニャのミッションは終わっていない。
 ホームルームが終わると、アーニャはカバンの中の手紙をもって教室の後方へ歩き出した。
(つぎのミッション、このてがみをじなんにわたすこと!)
「アーニャちゃんどこに行くの?」
 持ち物検査の時の緊張感はどこへ消えたのか、クラスメイト達は和気あいあいと談笑している。教室中央、一番後ろの席にダミアン・デズモンドの姿はあった。
「じなん」
「あ?なんだよ」
「これ、よめ」
「手紙?」
 アーニャから手紙を渡され、怪訝な顔をするダミアン。横に居たユーインとエミールはすかさずアーニャとダミアンの間に割って入ろうとする。
「お前の手紙なんか読むわけないだろー!」
「身の程をわきまえろブース!」
「ちょっとあんた達!アーニャちゃんの邪魔するんじゃないわよ!」
 ベッキーは思わずアーニャにかけより、いつもちょっかいをだす二人を睨みつけた。
「ダミアン様、そんな手紙読む必要ないですよ!」
「ていうか、字が汚すぎてなんて書いてあるか読めねぇじゃん!あははは!」
「アーニャ、がんばってかいたもん!」
「頑張ってこれかよ!まるでミミズが走ったような字だぜ!」
ぐぬぬ…こいつら、いつもアーニャじゃましてくる。じなんにおてがみよんでもらわないとダメなのに…!)
 殴りたい気持ちを我慢し、どうにかしてダミアンに手紙を読んでもらおうと考えるアーニャ。だがそれはロイドも同じ気持ちだった。
(くそっ!ダミアンの取り巻きのせいで難航している…!たかが手紙を渡すだけだと思っていたが…これは下手をすると読まれずに捨てられる可能性もある。それにこのままじゃアーニャが…)
 アーニャは、ロイドと何度も手紙を書き直した時間を思い出していた。
(ちち、おてがみかくのなんかいもてつだってくれた…。いそがしくてねむそうだったのに、まにちチョコつくるのもいっしょにやってくれた…。アーニャがへたっぴなせいで、ちちにたくさんめいわくかけちゃった…。いぬさんのときだって、カバンのときだって、いつもちちにたすけてもらってる…。だから…ここからは…アーニャががんばらないと…!!)
「アーニャのじ、きたないかもしれないけど…でも、じなんによんでほしくて、いっぱいれんしゅうしたから…!だから…だからアーニャおまえにてがみよんでほしい!」
 アーニャには、ロイドのような観察力も頭の回転も、知識もなく何もかも劣っている。しかし誰よりも純粋な気持ちを持ち合わせていた。
(こいつ…俺のためにそんなに必死に…!)
 アーニャの必死な姿に心打たれたのか、ダミアンはアーニャからの手紙を開いた。
「そ、そこまで言うなら読んでやるよ…!」
(ほうかご、だんししゅくしゃのまえにきてください。わたしたいものがあります。…これってまさか…きっとそうだ!今日はバレンタインディだからな!こいつ、俺を呼び出してチョコを渡すつもりだな!…いや待てよ、でもチョコを持ってくるのは規則違反だし、何よりこいつ、さっきの持ち物検査でチョコ持ってなかったよな…?一体どういうことだ?チョコ以外のもの…いやそもそもバレンタインは関係ないってこともありえるんじゃないか!?)
(ちがう!さいしょのであってた!アーニャチョコわたすつもりなのに!)
 心を読めても指摘できないアーニャは、ダミアンの誤解を解くすべがわからなかった。
(そうだ!こいつは俺の事を嫌ってるのにチョコなんてよこすわけがない!一体何企んでるかわかんねぇけど、危うく騙されるとこだったぜ!)
(あわわわわ!どうしよう!じなんなんかおこってる!)
 怒りの表情を見せるダミアンにユーインが言った。
「なんて書いてあったんですか?」
「はっ!こいつ、俺様を罠にはめようとしやがった!」
「こいつ!ダミアン様にそんなことしようとしてたのか!」
「ち、ちが…アーニャそんなんじゃ…!」
「誰が騙されるもんか!さっさと向こう行け!」
 ダミアンの一言により、教室の雰囲気は最悪に。もうこれはどう反論しても聞いてもらえないと悟ったアーニャは、静かに席に戻った。
「アーニャちゃん…」
(くそっ!最悪の展開だ!口頭で伝えると誤解が起こるかもとわざわざリスクを負って手紙にしたのに…!何をどう解釈したら罠だと思うんだ…!)
(ちち、ごめん…アーニャのせいでしっぱいした。じなんきっときてくれないからチョコわたせない…)
(これじゃプランBの進展どころか、壊滅的だ!落ち着け…何かいい方法はないか…ダミアン・デズモンドを待ち合わせ場所に向かわせ、アーニャからのチョコを受け取らせ、関係を良好にする方法は…!!)


 日は傾き始め、アーニャの影は来た時よりも長くなっていた。
(あれから2時間…結局ダミアン・デズモンドは待ち合わせ場所に現れていない…。なんとか作戦の軌道修正を行おうと模索したが、デズモンドの誤解を解くのは容易ではない。…俺が介入しようかとも思ったが、内容が内容だけに、教師に扮したところでどうにかなるわけでもない…)
 2月の中頃、今日は雪すら降っていないものの、まだこの地域には冷たい風が吹き付ける。アーニャは下を見つめたままずっと動かず、時折すする鼻の音だけがした。白いアーニャの肌に赤くなった鼻がとても目立っていた。
(作戦を中止してもいいが、アーニャが諦めていない以上俺が諦めるわけにはいかない。もしこのままデズモンドが現れなければ、多少強引ではあるが俺が直接行くしかないか…。これ以上アーニャに辛い思いをさせるわけにはいかないからな…)
 遠くからアーニャを見守り続けるロイドは、コートの襟を寄せ隙て間風を防いだ。極寒の地でも任務を行って来たロイドにとってこの程度の寒さならどうということは無いが、アーニャにとっては厳しいものだった。
(さむい…かえりたい…まってるのつかれた…あしとおててがつめたい…。やっぱりじなん、こないのかな。…あとすこし、もうすこしだけまってみよう…)
 二重底にしたカバンから取り出した茶色い箱を、手袋をした手で持っている。
(おひさまがあたってるとこ、すこしだけあったかい…)
 少しずつ日陰に浸食されていく地面を避け、日向に足を踏み入れる。そうしているうちに元々立っていた場所方から随分と離れてしまった。そんな姿を、ダミアンは窓から覗いていた。
(アイツまだ居たのか…一体何時間待ってるつもりだ?俺を嵌めるためだけにこんな寒い中ずっと待ってるなんて、ほんとバカなんじゃねぇか?…アイツが風邪ひこうが俺には関係ねぇ)
 自分の息で白く曇った窓ガラスを鬱陶しそうに見ていた。
 同じくアーニャを見ていたロイドの目線の先には、エレガンスに歩くヘンダーソン先生の姿があった。
(…っ!なぜやつがここに!?この時間は部屋で教材の準備をしているはずだ!散歩ルートにしても予定とは違う!いつも決まった時間に行動するはずなのになぜ!?まずい…このままではアーニャと接触してしまう!)
 アーニャはまだ近づいてくるヘンダーソン先生に気付いていない。
(くそっ!気づけアーニャ!箱をカバンにしまうんだ!!)
 ロイドの叫びは遠く離れたアーニャには聞こえるわけもなく、アーニャが次に顔をあげたのは名前を呼ばれたからだ。
「アーニャ・フォージャー、こんな時間にこんな場所で何をしているんだ」
 ヘンダーソン先生は鼻水をすするアーニャに問いかけた。
「ア、アーニャは…」
 ずっと声を出していなかったせいで上手く声が出ず、思った以上に口の中が渇いていたことに気付いた。
(まずい、せんせいにみつかった!ど、どうしよう…!)
 咄嗟に箱を背中に隠すが、とうに遅いことはわかっていた。
「アーニャは…その…ちょっとおさんぽしてて…」
「ほう、こんな時間に散歩か。随分長い事散歩していたのだな、鼻が真っ赤になっているぞ」
「う、うい…」
 どうか箱がバレていませんようにと、強く願いながら箱を固く握りしめるアーニャ。
(はやくどっかいって…!)
「私も少し気分転換に散歩に来たのだが、この時間はやはり冷えるな」
 沈む夕日に目を向け、眩しそうに目を細める。アーニャはそんなヘンダーソン先生横顔をじっと見つめていた。
「ところでミス・フォージャー…」
 ヘンダーソン先生の手がアーニャのほう向かって伸びた。
(まずい!)
 アーニャのすぐ近くまで来ていたロイドが思わず身を乗り出そうとしていた時だった。
ヘンダーソン先生!」
 声に反応し、ヘンダーソン先生は呼ばれた方に目を向けた。
「デズモンドか、コートも着ないでどうしたのかね」
(じなん!!)
 ヘンダーソン先生に指摘され、始めて自分がコートも羽織らず飛び出たことに気付いたダミアン。
「えっと…その…そいつが持ってるのは俺が買ってくるように頼んだものなんです!だから、アーニャ・フォージャーのじゃありません!!」
 息を切らしながら必死に訴えるダミアンを、ヘンダーソン先生の鋭い眼光が射す。
「ふむ…アーニャ・フォージャーは何か持っているのかね?」
「え?」
「今日は夕日がいつもより眩しくな、私にはミス・フォージャーが何か持っているようには見えなかったのだが…」
(あの手紙はもしかしたらこの事だったのか?一教員としては見逃すことはできないが、今日はバレンタインディだ、私は夕日で何も見なかった…それでよいではないか)
(せんせい、みのがしてくれた…?)
 ヘンダーソン先生の表情はいつもの変わらないはずだが、その顔を見上げるアーニャにはほんの少しだけ柔らかく見えた。
 戸惑うダミアンとアーニャを他所に、ヘンダーソン先生は続けた。
「ダミアン・デズモンド、自分の行動には責任が伴うことを忘れるな。それと、どんな理由であれこんな寒い中レディを待たせるのは、ノット・エレガントだ」
「…はい」
「では、私はこれで。ミス・フォージャー、風邪をひく前に帰るのだぞ」
「う、うい…」
(デズモンドよ、ミス・フォージャーを庇ったことは実にエレガントだ。…これも彼らの青春、思う存分足掻くと良い。…そして二人を咎めることなく目を瞑った私も実にスマート・エレガントであった。厳しくするだけが教職員ではない、彼らを見守ることもまた、我々の役目である)
 夕日に背を向けるように、ヘンダーソン先生は来た道を戻って行った。
ヘンダーソンにはバレていなかったのか?いや、あの距離で見えないはずがない…まさか、見逃してくれたのか…?ふっ、もしそうであれば、あんたは本当にエレガントだよ)
 ヘンダーソン先生を見送ると、ダミアンはアーニャに向き直った。
「こんな寒い中何時間も待ってるなんて、お前バカだろ」
「じなん、アーニャがずっとここにるの、みてたのか?」
「べ、別に見てたわけじゃねぇよ!たまたま目に入っただけだ!」
(俺のせいでこいつが怒られたとか、トニトもらったなんてなったら…顔合わせづらいだろ…)
(じなん、もしかしてアーニャのことたすけにきてくれた…?)
 その時アーニャは思い出したように、手に持っていた小さな箱を渡した。
「じなん、これやる」
「…あけてもいいか?」
「うい」
「……なんだよ…ほんとにチョコじゃねぇか…誰だよ、罠なんて言ったやつ」
 アーニャを疑い、酷いことを言った自分に向けて文句を言う。その顔は、嬉しさと申し訳なさでいっぱいだった。
「その…ありがとな…あと、酷い事言って、待たせて悪かった…」
「うい……それ、アーニャの本気のチョコだから」
(本気…!?それってもしかして…こいつ俺の事…!)
「だから、これからもアーニャとなかよくして」
「…ぷっ、なんだよそれ!仲良くって…あぁ、しょうがねぇから仲良くしてやるよ。チョコ分のだけな」
照れくさそうに微笑むダミアンの表情を見て、アーニャもつられて笑みを浮かべた。
「うい!」
(じなん、なかよくしてくれるっていった!これはミッションせいこう…?)
「お前、帰るんだろ。正門まで一緒に行ってやるよ。コート取ってくるから待ってろ」
口調はいつも通りの不愛想だが、コートを取りに戻る足は急ぎ足だった。
(ふぅ…一時はどうなることかと思ったが、なんとかうまくいったな…。まさか、デズモンドがアーニャを庇うとは思わなかったが…これはプランBが上手くいっていると思って良いのだろうか…まぁ難しいことは後で考えよう。とりあえず、俺も正門までアーニャを迎えに行くか…)
 ロイドが立ち去った後、コートを羽織ったダミアンが戻ってきた。
「何ニヤニヤしてんだよ」
「ううん、なんでもない!」
(バレンタインミッション、だいせこうだ!)

 

 

 

 

アーニャのいない未来…001

 

※原作を軸とした、アーニャが居なくなってしまったら…というシリアスなお話です。
長編予定なので気長にお付き合いください。

 

 

 

「おいアーニャ、そろそろ出ないとバスに乗り遅れるぞ」
「うい、いまいく!」
 急いで鞄を背負うアーニャに、忘れ物はないかと声をかける。ちゃんとかくにんしたからだいじょぶ!とスカートの裾を翻すアーニャの行く手を塞ぐ者が一人…いや一匹いた。
 いつも見送りに玄関まで来てくれることはあっても、まるで行くなと言わんばかりにアーニャを玄関から遠ざけようとすることは初めてだった。
「どうしたボンド、アーニャがっこういくぞ」
 あそんでほしいのか?それともさんぽか?と首を傾げているとボンドの未来予知した映像が見えた。そこには、ロイドとヨルが暗い部屋で泣き崩れている姿が映しだされていた。
 なぜちちとははが泣いているのか、アーニャはどこにいるのか、何があったのか。冷や汗と共に疑問が湧きだし、思わずボンドに問い詰めた。
「ボンド!いまのなに⁉どういうこと!」
「おい何してるんだ、ボンドが驚くだろう。ボンドお前もだ、遊ぶのは帰ってからにしてやれ」
 アーニャを引き留めたことを咎めたと勘違いしたロイドは、アーニャとボンドを引き離し学校へ行くようアーニャを促した。ボンドはそれでもアーニャを止めようと、ロイドの足の隙間へ無理やり体をねじ込ませる。
普段大人しいボンドがこんなことをするなんて、もしかしたら何かあるのか?と疑問を浮かべたが、何を訴えているのかわかるわけもない。それより一先ずアーニャを学校に行かせることが優先だと時計を見て少し焦る。
 アーニャは先ほどの映像が気がかりでしょうがなかった。あれは何を意味するものだったのか、これから何が起こるのか…。
背後からボフッ!と鳴く声を聞いて振り返ったアーニャは、閉じていくドアの隙間からその目をじっと見ていた。

 

 学校の帰りの道、バスを降りたアーニャはふと今朝のことを思い出していた。朝はずっと気になっていたのに、授業や友達と過ごすうちにすっかり忘れてしまっていたのだ。
 ちちとははがないちゃうこと…アーニャがとにともらったとか?いや、それくらいでちちはなかない、もしかしてアーニャたいがくになったとか⁉あれ、でもきょうはなにもいわれなかった…もしかしてあしたなにかやらかす?
 などと頭を捻らせていると、アーニャの前に一人の男が立っていた。だれだこいつ?とその男を見上げてると、アーニャの顔は急に真っ青になった。
忘れかけていた記憶の引き出しの片隅に、この男の顔があったのだ。
「久しぶりだね、アーニャ。それともこう呼んだほうがいいかな…被検体007」
 少し嬉しそうに発したその男の声に、確かに聞き覚えがあった。忘れたかった記憶なのに、忘れかけていたはずなのに、聞いた途端はっきりと、鮮明に当時の記憶が蘇ってきた。
「お、おまえなにしにきた!アーニャをつかまえにきたのか⁉」
 人通りの多い時間ではないとはいえ、そんな物騒なセリフを吐いていては注目の的になってしまう。しかし男はそんなこと気にも留めない様子で話を続けた。
「あぁその通りだ、アーニャ、我々の元に戻ってこい」
 まるで家でした子供を連れ戻すかのように優しい口調だったが、もちろんアーニャにはそうは聞こえなかった。
「ぜったいにいやだ!アーニャはおまえらのものじゃない!」
 捕まったら最後、絶対に研究所へ連れ戻される。もう二度とこの家には帰って来られない。そう危惧したアーニャは、男から逃げるためにどうするべきか思考を巡らせた。
「まぁそうだろうな、そういうだろうとは思っていたよ。今のお前には家族がいるんだからな。ではその家族の命がかかっているとしたらどうする?」
 ハッとしたアーニャの表情を楽しむかのように男は口を開いた。
「バカなお前でもわかりやすく言うとこうだ、お前が戻ってこないなら、お前の父親と母親を殺す。あぁ、そういえばペットに犬もいたな」
「ちちとははになにするつもりだ!」
「さぁなんだろうな、それは私の知る限りではないが…生かしておく必要はないと上は判断した、それだけだ」
 先ほどまでの薄ら笑いは消え、脅すように冷酷な口調へと変わった。しかしそれでもアーニャは臆することなく反論した。
「ちちもははもつよいから!おまえらなんかにまけるわけない!」
「これだからバカは…会話の呑み込みが遅くて困る。私たちが今までお前をただ放置していただけだと思うか?お前の両親の素性はすべて調べてある。それとも、我々が勝算もなくこんなことを言うと思うか?」
 ロイドやヨルが負けるとは到底思えない、しかしこいつらが二人の素性を調べている以上、何らかの対策があるに違いない。勝算もなく…その言葉の説得力はそれほどまでに大きかった。
「即決しろとは言わないが、我々はもう待たない。お前が今この場で来ることを拒むと言うのであれば、こちらも相応の手段をとらせてもらう。まぁそのうち嫌でもお前から来ることになるだろう」
 男がアーニャに向かって歩き出し、思わず身を強張らせた。しかし男は力づくで連れていくわけでもなく、ただアーニャの横を通り過ぎると、そのまま立ち去ってしまった。
 振り返り、男が見えなくなるまでその場から動けなかったアーニャは、ようやく体の力が抜けるのを感じだ。自分の身に何が起こったのか、アイツが言っていたことは本当なのか。いつもの見慣れた景色がより現実味を薄れさせていく。
早くあの家に帰りたい、自分の家に…、そう強く思いあと少しの我が家を見つめると、歩く足が自然と早まった。

 

その日の夜、今日は早く帰れると言っていたロイドがいつになっても帰ってこなかった。

 

「ロイドさん遅いですね、連絡もなしにこんなに遅くなるなんて…」
 時刻はすでに日付を跨いでおり、限界まで待っていたアーニャもすでに寝てしまっていた。
 もしかして何かあったのか、事故や事件に巻き込まれてはいないだろうかと心配になり落ち着いて座ってなどいられなかった。少し辺りを見てこようかとも思ったが、寝ているアーニャを置いて出ていくわけにもいかないと、ヨルはリビングから動けずにいた。
 あれからどのくらい経っただろうか…玄関の方から音がしてヨルは目を覚まし、自分がソファで寝てしまっていたことに気付いた。慌てて玄関に向かうとそこにはロイドが立っていたが、最初に出てきた言葉は悲鳴にも似た声だった。
「ロイドさんっ…!一体どうされたのですか⁉」
「あはは、ちょっと派手に転んでしまいまして…」
 頭から血を流し、服はボロボロ、押さえている片腕からも出血が見られた。これはどう考えても派手に転んだという域ではないが、それでもロイドはヨルに笑顔を見せた。
すぐに救急箱を取ってきます!とヨルがリビングに戻ろうとしたとき、ロイドは力が抜けたようにその場で崩れ落ちてしまった。咄嗟に手を差し出しロイドの体を支えたが、おそらく見た目以上の怪我をしていると感触で悟った。
「ロイドさん、今から病院へ行きましょう!怪我が酷すぎます!」
「いえ、これくらい平気です…それにアーニャを起こすわけにもいきませんから…」
「でも…」
 支えられてようやく立っている人のいうセリフではないが、きっと自分が何を言ってもダメだろうとわかっていた。とりあえず傷の手当をしましょうとリビングへ向かって歩き出すが、手当は自分でできますからと断られてしまった。
 何をそんなに頑なに拒むのだろう、そこまでして見られたくないのか、隠したい何かがあるのか…ほんの少しだけ疑う気持ちが脳裏をよぎったが、自分のことを思うと言葉に詰まってしまった。それならばせめて部屋まで支えますと、ロイドを私室に送り届けた。

 

 翌朝、食卓にはいつも通りロイドの姿があった。
「ちち、はは、おはやいます…あれ?ちちいつのまにかえってきた?ハッ!ちちのあたまぐるぐるまきになってる!」
「あぁこれか、昨日少し転んでしまってな、でも別に問題はない。ほら、早く顔を洗ってこい」
 洗面所へ向かうアーニャの背を見つめながらロイドは昨晩のことを思い出していた。
 昨日はバーリント病院での勤務を終え定時に病院をでたが、その帰り道、何者かに尾行され襲撃を受けた。その程度普段なら簡単に撒けるが、昨日の奴らは何もかも計画的だった。
煙幕で視界を奪い、超音波で音を奪った、これで敵の気配を探れなくなったところへ更に催眠ガスで呼吸を止めさせることにより集中力が低下、敵の場所を特定することが困難になったところ袋叩きに…。なんとか逃げ延びたが、敵の情報を何一つ掴めなかった。これでは対策の立ようがないしどこの連中かもわからない。奴らはまた近いうちに必ず俺を狙ってくるはずだ…。
ロイドの怪我が誰かの襲撃によるものだと知りアーニャは不安な表情を浮かべた。ロイドをそこまで追い詰めた相手が誰かはわからないが、昨日会ったアイツの言葉を思い出し、もしかして…と一瞬頭をよぎった。

 

 その日のお昼、市役所に一つの荷物が届けられた。
「え?私にですか?」
 受け取った荷物は両手で持てる程度の大きさで、包みの表面には確かにヨル・フォージャー様と書かれていた。しかし差出人の名前はどこにもない。
「一体どなたからでしょう」
「何か頼んだ覚えはないの?」
「懸賞に応募したとか?」
「まさか、旦那さんからのサプライズだったり!」
 首をかしげるヨルに同僚たちが次々と言葉を発するが、どれもヨルには身に覚えのないものだった。とりあえず開けてみなさいよとカッターを手渡され段ボールを開封していく。
ゆっくり蓋を開けると、中に何か黒い箱のようなものと、赤や青の配線が見えた。ヨルは何かを察し咄嗟に周りにいた同僚を押して遠ざけ、自身も離れなければと段ボールをどこかへ投げ捨てようとした。しかし周りには他の社員もいる、窓の外に投げ捨てる余裕はない。せめて周りの人たちだけでも助けなければと思考を巡らせるが、その間わずか5秒足らず。ヨルの抱えていたものは容赦なく爆発した。

 

 ちょうど午後の授業を終える頃だった。昼食を食べて少し眠そうになりながらもあと少し…と耐えていると勢いよくドアが開いた。誰もがその音に反応しドアの方に注目すると、ヘンダーソン先生が神妙な面持ちで立っていた。
「アーニャ・フォージャー、すぐに荷物をまとめて職員室に来なさい」
「アーニャちゃん、何かやらかしたの?」
隣に座っていたベッキーが心配そうに尋ねるが、身に覚えがなくアーニャは首を横に振る。
「どうせ何かやらかしたんだろう」
「職員室に呼ばれるなんて相当だぜ」
 ユーインとエミールにも似たようなことを言われるが、ヘンダーソン先生の表情からそういった類ではないとなんとなく感じていた。
 荷物を背負い教室から少し離れた辺りでヘンダーソン先生はようやく口を開いた。
「いいかミスフォージャー、落ち着いて聞くんだ。君の母君が職場で大怪我を負ったらしい」
「ははが?」
「あぁ、病院に運ばれたらしいがどうやら意識不明の重体でかなり危ない状態らしい」
 意識不明の重体という言葉の意味は分からなかったが、ははがピンチだということはわかったらしい。
「父君から連絡があって、代わりの者が迎えに行くから今日はバスでなくその人と一緒に帰ってくれと言付かったぞ」
 ははに一体何があったのか、はははすごく強いのにどうしてピンチなのか。今自分の周りで何が起こっているのかわからない、そんな恐怖を抱えながら職員室へと足を進めた。

 「よう、迎えに来たぜ」
 アーニャを迎えに来たのはフランキーだった。まぁちちでもははでもない代わりの人と言ったらきっともじゃもじゃだろうと予想はしていたので、驚きはしなかった。
 失礼しましたー、なんて柄にもないことをするフランキーを見上げ、アーニャと共に学校を後にした。
「もじゃもじゃ、こっちアーニャのいえとちがう」
「家にはいかねーよ、行くのは俺の仕事場だ」
 なぜ家に帰らないのだろう、なぜ迎えに来たのがちちではなくもじゃもじゃなのだろう。もじゃもじゃを学校の迎えに来させるなんて、いつものちちなら絶対にやらないのに。もしかしてちちに何かあった?アーニャを迎えに来れない何かがあったのかと、幼いながらも必死に考えていた。
 そんなアーニャの思考を悟ったのかそれとも偶然なのか、フランキーは信号が変わり歩き出したと同時に話し出した。

「お前の母ちゃんが職場で怪我したって話は聞いたか?」
「うい、せんせーからきいた」
「それがな、どうやら爆弾によるものだったらしい。宅配の包みを開けた途端爆発して、お前の母ちゃんは爆発からみんなを守ろうとして一人で爆弾を持って逃げたんだってよ。他の人たちもそこそこ怪我をして病院に搬送されたらしいがみんな意識はある」
 急に爆弾と言われても、アーニャはまるでピンと来ていなかった。
「ロイドには余計なことは言うなって言われてるけどよ、そりゃお前だって気になるよな。とりあえず、お前はロイドの迎えが来るまで俺と一緒に待ってろ、まぁ暇かもしれないがな。そうだ、犬っころもちゃんといるぜ」
 アーニャは今朝のことを思い出していた。昨日ちちが知らない人たちに襲われたと言っていたこと、そして今日ははが襲われたこと、二つのできごとは偶然なのか。つい昨日の研究員のやつらの話と結びつけてしまう。
アイツらがちちとははにひどいことした?アーニャがきょうりょくしないから、ちちとははがこんなめにあった?アイツら、きのうちちとははのこところすっていってた…もしかしたらほんとうに…。
アーニャは思わず手をぎゅっと握りしめた。
アーニャがここにいると、またちちとははにひどいことするかもしれない。もじゃもじゃだってあぶないかもしれない。もしかしたらベッキーやじなんも…アーニャのまわりのみんなにひどいことするのかもしれない…。どうしよう、アーニャどうすればいい。
きっとけんきゅうじょにもどればぜんぶかいけつする。でももうあそこにはもどりたくない。でもそうしたらみんなが…。

 

「昨夜の件と言い、ヨルさんが襲われた件も…どうも偶然とは思えません。これはオペレーションストリクスの妨害ではないでしょうか」
「つまり、最高機密であるオペレーションストリクスの作戦と、お前の正体がバレているといいたいのか?」
 ハンドラーはロイドに鋭い眼光を突き付ける。
 ハンドラーの言いたいことはもっともだ。この作戦がバレるようなヘマはしていないし、もちろん自分に関してもそうだ。今まで通りすべて完璧にこなしてきたからこそ、自身でもまだ疑ってるくらいなのだから。
「このままではヨルさんやアーニャの身も危険です。人員を割いてこの件に当たるべきかと」
「…奥方の容態は」
「爆発をもろに食らったらしく、怪我が内臓にまで達しています。今も集中治療室に入ったきりで意識もありません…正直、生きているのが奇跡という状態です」
 いくら契約上の関係とは言え、身近な人が苦しむ姿を見て平気なわけじゃない。きっと今すぐにでも病院に行きたいところだろうと、ハンドラーは視線を落とした。
「そうか…それではアーニャ嬢の身も心配だな。お前の言う通り、このままではオペレーションストリクスは頓挫する恐れがある。そうならないよう総員でこの件を片付けるぞ。こちらも敵の情報を集め対応し、その間の二人の身の安全はWISEから人員を送り警備を付ける。申し訳ないが今はそれしかできない…」
 申し訳なさそうにするハンドラーをみて、なんともらしくないなと思ってしまったと同時に自分の不甲斐なさを痛感した。何が原因で作戦がバレたかわからない以上、原因の追究と敵への対策を並行して行う必要がある。
 ロイドはハンドラーに返事をすると、一刻も早く犯人を見つけるためにと動きだした。

 

「もじゃもじゃ、それなんだ?」
「あ?これはたばこだよ」
「たばこ!アーニャしってる!おとながふ~ってするやつ!んじゃこれは?アーニャたべていいやつ?」
「それはさきイカだ、売り物だから食べるな」
 アーニャが来てからというもの、店の中を物色されて商売どころではなかった。食べちゃだめか…と残念そうにするアーニャを見て、さっきおやつで売り物のチョコとナッツを3つもくれてやっただろうが、犬っころの方は大人しく店の前で伏せて寝ているというのに…と呆れてみる。
「ボフッ」
 のっそりと体を起こしたボンドに、どうした?とフランキーが声をかけると、ボンドの見つめる先を見てそういうことかと納得した。
「アーニャ、待たせたな」
「ちち!」
「おせーよ、店の中のもん食いつくされるかと思ったぜ」
「繁盛してよかったじゃないか」
「無銭飲食だよ!」
アーニャが食べ散らかしたお菓子やぐちゃぐちゃにした商品を袋に詰めると、きちんとロイドに支払いを要求した。
「ちち、ははまだびょーいん?きょうかえってくる?」
 アーニャに問われフランキーの方へと目を向ける。喋ったなという眼差しに、しょうがないだろというように目線を外し、受け取ったお金をレジにしまう。
 どうせ言わなければならないのだから、今ちゃんと説明するべきかとため息をついた。
「あぁ、ヨルさんはまだ病院にいる。怪我が酷いらしいから、家に戻ってくるのはまだ先になりそうだ。少し寂しくなるかもしれないが我慢してくれ」
 ヨルが居ないことに対しての寂しさもあるが、アーニャが心配しているのは別のことだった。
「爆弾を送り付けてきた犯人はまだ捕まっていないし、相手が市役所を狙ったのか、ヨルさんを狙ったのかもわかっていない。だから明日からしばらく警察の人が警護につくことになった。ヨルさんのところにも警護が付くから心配するな」
 けいさつのひと…ほんとうはちちのなかまのすぱいのひと!アーニャたちをまもってくれるのか。
「そんじゃ、これで俺もお役御免だな」
「いや、お前には別の仕事がある」
 そういうとロイドはフランキーに一枚の紙を渡した。めんどくさそうな匂いがするな~と怪訝な表情でその紙を受け取り確認すると、ぎょっと目を見開いた。
「お前これ本気で言ってんのか?」
「冗談だと思ったのか」
 フランキーの戯言を軽く聞き流すと、アーニャとボンドに帰るぞと声をかけた。アーニャもフランキーに別れを告げると、ロイドの手をぎゅっと握る。
 今日は少し多めに買い出しをして帰るぞというロイドに、アーニャのおかし何個買っていい?と浮かれてはしゃぐ。

 

 この晩以降ロイドは寝る間もないほど忙しくなり、アーニャと顔を合わせることも少なくなってしまった。
最後にこの子の笑顔を見たのはいつだったか…、つい先日のことだったはずなのに、その記憶すら懐かしい。また笑ってくれるように、明日はお菓子を沢山買って帰ろう。

 

 ロイドの話によると、警備の人はロイドが居るときと学校以外は常にアーニャと一緒にいるらしい。あと変わることは、通学用のバスではなく警備の人の車で送り迎えしてもらうということ。
 始めはベッキーと同じでセレブになったみたいと喜んでいたが、家に帰ってもずっと見張られているような感覚ですぐに窮屈に感じた。
「ねぇ、ちちまだかえってこない?」
 テーブルの上には食べ散らかしたお菓子のゴミが散らかっているが、もう時刻は19時をまわっていた。いつもならとっくに夕飯を食べている時間なのだが、一向にロイドが帰ってこない。
 あまりにもお腹がすいたし暇なので警備の人に尋ねてみたが、私にはわかりません。と淡白な答えが返って来るのみ。本当はちちのスパイの仲間だから、ちちがどこにいるか知っているのではないかと問い詰めたかったが、心を読んでも何も知らないのは本当のようだった。
 きっとちちは悪い奴らを捕まえるために頑張ってるんだろう、それは世界平和のためでありアーニャのためでもある。だから寂しいなんて口にしちゃいけない。

翌朝、アーニャはソファで寝ているロイドを見つけた。思わず声をかけようとしたが言葉が喉に張り付いて出てこなかった。
ロイドはどんなに忙しくても必ず家には帰ってくる。しかしそれがアーニャの起きている時間とは限らず、不本意ながら明け方になることもしばしばあった。ソファで寝ているのを見るのは何回目だろうか、ちゃんとベッドで寝てほしいが、おそらくそんな余裕もないほど疲れ切っているのだということはアーニャでも容易に想像できた。
 もう少し寝かせておこうか、でもそろそろ時間になる…と迷っていると、ロイドと目が合ってしまった。
「なんだアーニャ、起きてたのか」
「うい、ひとりでおきれた」
「そうか…、おはようアーニャ」
 朝食は簡単なものでいいか?と聞きキッチンへ向かうロイド。いつも通りに見えるのはさすがスパイというべきか、心の中は酷く荒れていた。
 アーニャが一人でも起きれたと本来は喜ぶべきなのだが、恐らくそれは俺のせいだろう。俺が毎晩遅く帰るせいでアーニャを精神的に追い詰めてしまっている。昨晩も遅くまで起きて待っていたと報告を受けているが…まだこのくらいの小さな子なら泣いて親に甘えていてもおかしくないというのに、それすら自制させてしまうほど追い詰めているのだ。いくら警備の人間が家にいるとはいえ、アーニャを1人で家に置いておくのは俺だって心苦しい、できることなら早く家に帰ってやりたい…、しかし早くこの件を片付けないと、アーニャにもヨルさんにも平和は戻ってこない…すまないアーニャ。
「そうだ、昨日お菓子を買っておいたんだ。この前一緒に買い物に行ったときこれも食べたいって言ってただろ」
 いつものように喜んでくれると思っていた声は聞こえず、とても不安そうな顔をしていた。
「どうした、嬉しくないのか?」
「うれしい…うれしいけど…」
 お菓子を沢山買ってきたということは、きっとまたしばらくは忙しいということ。一緒にお夕飯を食べれないということ…。
これ以上辛そうなロイドを見たくなかった。それならいっそのことすべて打ち明けてしまおうか、そうすれば少しは何かの役に立つかもしれない。ちちならきっとアーニャの能力を知ってもそばに置いてくれるかもしれない。
「悪いなアーニャ、もう少し寂しい思いをさせてしまうかもしれないでもお前は何も心配しなくていい、俺がすべて解決するから」
 なんでもできるスーパースパイにそう言われると、不思議と大丈夫な気がしてきた。アーニャは少しだけ笑って返事をすると、ロイドと一緒に朝食を食べた。

 

 その日の終業のチャイムが鳴ると、ベッキーがアーニャに声をかけた。
「アーニャちゃん、今日は久しぶりにお買い物でも行かない?最近元気ない気がしたから、そういう時はパーっと発散するのが一番よ!」
「アーニャきょうもはやくかえらないといけない、ごめんベッキー
 それにぱーっとかえるくらいのげんなまもらってない、と付け加えた。本当はお金の問題ではなく、ロイドに寄り道をしないようにと言われているからだった。
「そう、それじゃ仕方ないわね…。あのねアーニャちゃん、この前から気になってたんだけど、最近アーニャちゃん車で帰ってるわよね、何かあったの?ロイド様が急にセレブになったとか?」
「ハッ!庶民が急にセレブになるわけねぇだろ、そういうのは成金っていうんだよ」
 アーニャたちの話を聞いていたのか、ダミアンたちが話に割って入ってきた。
 なりきん?アーニャんちがセレブ…という妄想はほどほどにし、ちちにしゃべっちゃだめっていわれてないよね?と若干の不安を持ちつつも、ベッキーたちに最近の出来事を打ち明けた。
「爆破に警備って…お前それ話盛ってるんじゃねぇのか?」
「でも市役所で爆発騒ぎがあったのは本当ですよね、ニュースにもなってましたし」
「でもそれでなんでお前に警備がつくんだよ、ダミアン様ならともかく」
「ちっちっちっ、これはとっぷしーくれっとだけど、ねらわれたのはアーニャのはは、だからアーニャにもけいさつのひとくっついてる」
 トップシークレットなのに喋っていいのか?とそこにいる誰もが思ったが、それよりもアーニャのははが狙われているという話の方にみんな食いついた。
「お前の母ちゃん一体何したんだよ」
「実は裏で悪いことしてたとか?」
「そんなわけないでしょ!いい加減なこと言うんじゃないわよ!」
「…でもお前に警備がついてるってことは…お前の身も危ないってことだろ」
 ダミアンの声が急に暗くなると、これ以上茶々を入れる雰囲気ではないなとみんな口をつぐんでしまった。ダミアンもデズモンド家というだけで命を狙われたことが過去にあったため、アーニャの今の現状がとても他人事とは思えなかった。
「そうよね、アーニャちゃんだって不安よね…」
 警察が付いてるなんてみんな羨ましがるだろうと思っていたアーニャは、なんか思ってたのと違うと慌ててフォローした。
「で、でもちち…じゃなくてけーさつのひとがわるいやつつかまえてくれるからだいじょぶ!」
「そうよね、きっと大丈夫よ!そしたらまた一緒に買い物に行きましょう」
「コイツを狙ったってなんの得にもならねぇだろうけど、まぁその時はデザートくらい奢ってやってもいいぜ」
「じゃぁいちばんたかい“あふたぬーんてぃせっと”ってやつがいい」
「少しは遠慮しろよこのバカ!」
 こんなに自分のことを心配してくれる友達ができるなんて、あそこに居た時は想像もしていなかった。自分がアイツらの元へ行けばすべて解決するなんて嘘だ。そうしたら友達も、家族も、何もかも失うことになる。やっと手に入れた幸せの場所を手放すなんて、やっぱりできそうにない。

 

 その日、いつものように警備の人の車で帰宅していると、一本の電話が鳴った。
 その内容は、入院していたヨルの病室が襲われたというものだった。

 

 

 

2024ねん、しんねんのごあいさつ

 


「明けましておめでとうございます」
「おめでとうございます、ロイドさん、アーニャさんにボンドさんも」
「なにがめでたい?だれかたんじょうび?」
 謎の言葉をかわすロイドとヨルを、パジャマ姿のアーニャは目をこすりながら問いかけた。
「お前、昨日の夜は日付超えるまで起きてるってはしゃいでたくせに、もう忘れたのか?」
「今日はお正月ですよアーニャさん、一年の最初の日です」
 ん~~、と唸りながらまだ冴えない頭で昨晩のことを思い出す。そういえばそんなこといってたかも、と覚えているのかいないのかよくわからないアーニャに、ロイドは溜息をつきながら顔を洗って着替えて来いと促す。
 その後ロイドは、昨晩話したお正月の話を、もう一度アーニャにすることとなった。


 テレビはお正月の特番ばかりで、テレビの前に座っていたアーニャは退屈そうにチャンネルをまわしていた。暇すぎてうたた寝しそうになっていたころ、突然坊門者を知らせるブザーが鳴った。
「明けましておめでとうお前ら!」
「もじゃもじゃ!いいとこにきた!」
「何しに来たんだよ」
「おいおい今の聞いてなかったのかよ、新年の挨拶に決まってんだろ。ほら、祝いの酒も持ってきたぜ」
 得意気に酒瓶を見せびらかしたフランキーは後からやってきたヨルにも挨拶をし、当然のようにソファに腰かけた。
 退屈していたアーニャは遊び相手が見つかったと嬉しそうに近づく。
「もじゃもじゃ、アーニャとなにかしてあそべ!てれびつまんない!」
「あー正月は特番ばっかりだからなー、遊ぶといってもなにするか……そうだ、お前今年の目標とか考えたのか?」
「ことしのもくひょー?なんだそれ」
 おつまみを作ろうとキッチンに居たロイドは2人の会話に耳を傾けていた。たまにはいいこというなと感心し、もう一品くらい作ってやるかと手を動かす。
「今年何を頑張るか、何をするかっていう自分の中の目標だよ、例えばテストでいい点を取るとか、早寝早起きを頑張るとか」
「なるほど、それがもくひょーか、それならアーニャもうある!」
「お、なんだなんだ」
「すてらいっぱいとって、いんぺらるすっからんになる!」
 その時キッチンの方でガシャーン!と音がした。大丈夫かと駆け寄ったヨルにロイドは大丈夫ですと落としてしまったボールを拾い上げた。
目標が高いのはいいことだが、現実的なところステラ2つ、いや1つ…最悪トニトを取らないといったところでは…、と頭を押さえていた。
「お、いい目標だな!でもそのためには勉強とか頑張らないといけないんだろ?」
「う、そうだった…で、でもアーニャほかにももくひょーある!じなんとなかよくなってプラ…ぷらぷらとおでかけしたい」
「ぷらぷらとおでかけ?ほほぅ、つまりそれはデートってことだな!」
 再びキッチンでガシャンと音がした。ロイドは頭を押さえながら、つまみができたからもう余計なことをいうなとフランキーを睨みつけた。


 お酒とつまみがそこそこ進んだ頃、再び訪問者が訪れた。
「明けましておめでとうございます、フォージャー先生、それと奥様も。たまたま近くを通りましたので新年のご挨拶にと伺いました。あ、これたまたま先ほど買ったお菓子です」
 いつものように現れたフィオナは、ヨルにご一緒に召し上がってくださいと促されいつものようにソファに腰かけた。
 ドアを閉めようとしたその隙間から手が現れ、ガシッと扉を押さえたのはユーリだった。
「あけましておめでとう姉さん!新年の挨拶に来たよ!」
「ユーリ、明けましておめでとう」
「ユーリ君、明けましておめでとう、今年もよろしくね」
「嫌だね!お前によろしくしてやるもんか!」
 あはは、これは今年も手厳しいな、とロイドが愛想笑いを浮かべつつ、その隣で殺気を放ちそうになっているフィオナを制した。


 だいぶ賑やかになったリビングでは、再び今年の目標の話になっていた。
「もじゃもじゃはもくひょーあるのか?」
「目標?あーそうだな…今年こそ「超人外骨格(パワードスーツ)二号機」を完成させる!それと彼女を作ること!」
 彼女という単語に冷めた目を向ける一同。ロイドに関しては、それ開発するのに10年かかったって言ってなかったか?とフランキーを見る。
「なんだよなんだよ!目標はでかくだろ!おい!次はそこの姉ちゃんだ!今年の目標を言え!」
 だいぶ酒がまわってきていたのか、フランキーはこれ以上何も言うなと会話のバトンをフィオナに渡した。
「今年の目標ですか?そうですね…」
(それはもちろん黄昏先輩と結婚!だって好きだもの好きなんだもの、好き過ぎるんだもの。あー好き好き好き好き、先輩大好きです、最終目標は揺るぎはしないわ。しかしその前にこのヨル・フォージャーという障害をどうにかしなければならない。その名は私にこそふさわしいのに!具体的なプランはいくつか練っているがどれも成功率が低いという欠点がある上に、あの圧倒的パワーにどう勝つかを模索しなければ…)
「…とくにありません」
「なんだよつまんねーな」
「僕はもちろん姉さんと一緒に過ごすことだよ!」
(本当はロッティを処して、この世の姉さんの敵となりうるものをすべて排除することだけどね!姉さんの幸せは僕の幸せ!それならもうこの世に姉さんと僕だけでいいんじゃないか⁉あ、でもそうすると姉さんが悲しむからチワワ娘と犬だけは助けてやるかな!あとは姉さんの好きなケーキ屋さんも、それから…よし!やっぱりロッティだけ処刑しよう!)
「ユーリったら、もう少しちゃんとした目標にしてください」
 こんな大勢の間でシスコンパワーを見せつけられて少し恥ずかしそうにしていた。
「では奥様の目標はなんですか?」
(黄昏先輩をサポートするために具体的にどういう行動をし、どういうプランを立てているのかしっかりと聞かせていただきたいです。内容によっては妻の座を交代していただくということになるかもしれませんがその場合の引継ぎは問題ありませんのでご安心ください、というかとっとと下りてください)
 まさか自分も聞かれるとは思っていなかったヨルは少し戸惑っていた。いままで明確な目標というものを立ててきたわけではなかったので、改めてそう言われると何を目標としたらいいのか、自分は何がしたいのかわからなかった。
「はは、だいじょぶか?」
 アーニャの顔を見て、隣にいるロイドの顔を見る。心なしか心配そうな表情をしており、ヨルの答えはすぐに浮かんだ。
「私の目標は、今年も家族みんな笑顔で過ごすことです」
「はは、それじゃ僕と同じだ」
 笑顔で返すロイドに、フランキーはあーあ、つまんねーと笑っていた。
(ちち、ほんとうはにんむのことばっかりかんがえてる…でも、それもうそじゃない)
「姉さん!その家族笑顔でって僕も入ってるよね!僕だけ除け者じゃないよね⁉」
(こんな時でも任務としての顔を忘れない先輩すき♡私はそんな先輩を支えるために頑張ります!)
(あーこいつらに誰かいい女紹介してほしいけど、一人はスパイだし、もう1人は秘密警察だし、ろくなやついねぇなー、あー今年こそ彼女ほしー)
 それぞれの思惑が飛び交い収拾がつかなくなってきたなロイドは賑やかな光景を遠目で見ていた。
(ていうかそろそろ帰ってくれないだろうか…何か余計なことを言われるんじゃないかと気が気じゃないんだが…)
 大げさに咳ばらいを一つすると、自然と視線はロイドに移された。

「とりあえず、みんな今年もよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
「よろろすおねがいするます!」

クリスマスミッション ~タイムリミットは夕食まで~

 

 クリスマスイブの今日は、夜のクリスマスパーティーに備えて各々準備を進めていた
 ロイドは料理担当、前日に仕込みを少々しており、今日は当日用の食材の買い出し、ゆっくりと過ごしディナーを作る予定。
ヨルは飾りつけ担当、部屋の装飾は数日前にしてあるが、今日はパーティーなのでより一層華やかに花などを飾り付ける、さほど忙しくない。アーニャは盛り上げ役担当、特にやることはない。
 そんな素敵な休日のお昼を過ぎたころ、一本の電話によって怒涛のクリスマスとなってしまう。

 

 電話がジリリリと鳴り響く。座っていたロイドを制し、私がでますとヨルが受話器を取った。
「はいもしもし…あ、いつも主人がお世話になっております。はい、少々お待ちください…ロイドさん、病院の方からです」
 主人がお世話になっております。という定型文を聞き、ロイドの中で二つの候補が上がっていた。一つは勤め先であり病院で何か緊急の呼び出しか、しかし本日は非番なので相当なことがない限り精神科医のロイドが呼び出される可能性は低い。となるともう一つは、病院からというていでのWISEからの呼び出しだ。可能性を考えると後者の方が高い。ロイドはこれから起こるであろうパターンをいくつか想定しヨルから受話器を受け取った。
「ありがとうございます…はい、ロイドです…はい、はい…わかりました」
 ロイドは受話器を置くとヨルとアーニャに申し訳なさそうな顔を向けた。
「すみません、病院から緊急の呼び出しみたいで、ちょっと行ってきます。夕飯には間に合うように帰りますから」
 クリスマスの日に急に仕事に呼び出される、なんて事態にも嫌な顔一つしないで見送ってくれるヨルたちに感謝しながらロイドは家を出た。
「こんな日にまでお仕事なんて、やはりお医者様は忙しいですね」
(ちち、ほんとうはスパイのえらいひとによびだされた)
「お夕飯までには戻るとおっしゃっていましたが大丈夫でしょうか…」
 するとまた電話が鳴り響いた。
「あら、今度はどなたでしょう。はい、フォージャーです…はい、はい…わかりました、すぐに伺います」
ほんの一瞬眼光が鋭くなったが、ガチャリと受話器を置くといつもの表情に戻っていた。
「すみませんアーニャさん、私も職場に呼び出されてしまいまして…でもアーニャさん一人で置いていくわけにはいきませんよね…」
「アーニャ、ジじじとバばばのところにいくからだいじょぶ」
「オーセン夫妻と一緒なら安心ですね、急なお願いですが大丈夫でしょうか。おやつのお菓子も一緒に持っていきましょう」
できるだけ早く戻りますから、とアーニャをオーセン夫妻に預けたヨルは急ぎ足でガーデンへと向かった。

 


「こんにちは、あるいはこんばんはエージェント黄昏」
「今日は仕事を入れないようにとお願いしておいたはずですが」
「すまないな、緊急の案件で少々手が足りていないんだ」
 もちろん不満を言ったところで拒否権などあるわけもなく、ロイドは黙ってハンドラーが差し出した資料に目を通した。
 それには偵察していた部隊が入手した情報が記されており、東国<オスタニア>過激派が西国<ウィスタリス>の仕業に見せた爆弾テロを計画していると記されていた。
「また爆弾ですか」
「あぁ、このテロが実行されたら西国<ウィスタリス>に疑いの目が向けられるのは間違いない、過激派の思惑通り、戦争の火種には十分なるだろうな」
「だから俺に過激派を見つけて始末しろと」
「そうだ、過激派を捕えて爆弾のありかを聞きだせ」
さも簡単な事かのように言っているがこれはかなり骨が折れそうだ。正直夕食までに帰れる気がしない…と書類を読みながら夕飯の支度と食材の買い出しを含めた時間を瞬時に目算する。
「奴らの移動場所から爆弾のおおよその検討はついていないんですか?」
「人数はそう多くないんだが素人のように個々で動き回っていてな、そのため誰が爆弾を持っていて、誰が設置したのかもわかっていない。作戦なのか、本当に素人なのか…どうやら裏で大物政治家が関係しているということはわかっている」
「大物政治家ですか」
「あぁ、そっちは別の班に当たらせる。とにかく今は爆弾処理が優先だ、絶対に阻止しろ」
 こんなクリスマスの日にわざわざテロを起こそうなんて、本当に面倒なことをしてくれる。大人しくチキンでも食っていればいいものを…。
 この後の予定を考えて若干嫌気がさしているようだが仕事は仕事。そこにもう父親としての顔は無かった。

 


「お呼びでしょうか店長」
「突然呼び出してすみません、実は緊急で対応してほしい仕事がありまして。仕事はとある大物政治家の暗殺です。どうやら東国<オスタニア>の過激派と繋がっているようでしてね。その過激派のほうの同行は部長さんにお願いしていますので、貴方はターゲットだけに集中してください」
 いつも通りのお仕事、急げば早くアーニャさんの元へ戻れそうです。と置いてきた娘のことを自然と心配してしまい、咄嗟に店長に悟られているのではと少しだけ顔色を窺ってしまった。
「わかりました、すぐに接客に伺います」
「世間では今日はクリスマスです。浮かれる気持ちはわかりますが気を引き締めてお願いします。この世界が美しくあり続けるために」
 正直、この世界のためと言われても未だにピンと来ていない。しかし弟のために始めたこの仕事、今では大切な家族のためにと誇れるようになった。大切な人のためにという気持ちは今も昔も変わらない。私はそのために“いばら姫”になっただから。

 


「ジじじのいえ、なにもなくてつまらん」
 どこもクリスマス特集ばかりでさほど面白くもないテレビを見ながらアーニャは溜息をついた。これならちちかははのしごとにこっそりついていけばよかった、と少々悔んでいる。
「そう言われてもなぁ、ジジィとババァに家だからの…あ、そのチキンうまそう」
「チキンと言えば、今日は家でクリスマスパーティするのかい?」
「うい!ちちがごちそうつくってくれる、はははケーキかってくる」
「それは楽しみだねぇ」
 アーニャとバーバラがご馳走の話で盛り上がっているなか、ジークムントはテレビを見ながら何かもごもごと呟き、そうかと思うと、急に公園にでも行くか、と言い出した。
 いい天気だし、と付け加えるように言うと、ゆったりと腰かけていた椅子から立ち上がった。
「ダメですよジーさん、また迷子になったらどうするんですか」
「アーニャいるからだいじょぶ、ちゃんとジじじつれてかえってくる!」
「だそうだ、なに心配いらん」
「いえ、心配だから私も一緒に行きます。せっかくだから市場にも行ってみようか、クリスマスだから何か美味しいものがあるかもしれないね」
「なんだかデートみたいでわくわくするな」
「ふふ、ジーさんったら」
 2人のイチャイチャっぷりにまだ慣れていないアーニャは思わずゲップと息を吐いた。

 


 街はクリスマス仕様になっており、イルミネーションや飾りで店や街路樹が彩られていた。
「街がチカチカしてる」
「クリスマスですからね」
「ジじじ、それこのまえもいってた」
公園に向かう途中にある市場では、今夜どこかの夕食を彩るであろうチキンやローストビーフなどがずらりと並んでいた。
「可哀想に、あんなにこんがりと焼かれてしまって…でも美味しそう、チキン食べたいな」
「じゃ今夜はチキンにでもしますか、帰りに買っていきましょう」
「アーニャんちもチキンたべる!」
「それはいいな、あとはバーさんの作るグラタンも美味しい、グラタンと暖かいスープ…そうだ、チキンも買って行こう」
 それさっきバばばがいった、と言おうとしたが、どこからか流れてきた美味しそうな匂いにつられ、アーニャはふらりと足を躍らせた。
美味しそうな匂いの元はピザ屋で、店頭では焼きあがったピザの匂いとその奥に見える石窯の暖かさについ足を止めてしまった。少し焦げたチーズや、トマトの香ばしい匂い、想像しただけでよだれがでそうだ。
「ピザも美味しそうだね、うちで作るのはちょっと難しいかしら」
 いつの間にか横に立っていたバーバラも、ピザにしようか、いやジーさんはチキンと言っていたし…とピザの誘惑と戦っているようだ。
「ねぇジーさん、ピザはどうですかねぇ…ジーさん?」
 先ほどまで一緒にいたはずなのに、辺りを見渡してもジークムントの姿は見えなかった。
「ジじじまたまいご⁉」
「あら困ったわねぇ、どこ行っちゃったのかしら」
 暖かかったピザ屋の前を離れ、アーニャたちはジークムントを探した。先に行ってしまったのかと市場を抜けて公園へ向かったがジークムントの姿は無かった。
「まったくジーさんはどこに行ったのかしら」
 いつも座っているベンチにも姿はなく、アーニャはアスレチックからジークムントを探した。
「ジじじー!ジじじーどこだー!もしかしてジじじはこのもっとさきにすすんだのかも!よし、アーニャもさきにすすもう!このあすれちっくはとらっぷがおおい、もしかしたらジじじはもう…おっと、このぐらぐらトラップはジじじはわたれない!きっとここで…」
「なんだか楽しそうだねぇ、さて、公園には居なさそうだし市場の方に戻ってみますか。お嬢ちゃん、ジーさんを探しに市場の方へ行こうと思うのだけど…」
「うい、アーニャはここであそんで…ジじじさがしてる!」
 今完全に遊ぶって言ったよね?とバーバラ首をかしげたが、まぁいいかと市場の方へ歩いていった。それからどれくらい経ったのか、アーニャはベンチの前で立ち尽くしていた。
「バばばもきえた!まさかバばばもまいご⁉」
 アーニャ一人で家に帰ることはできるが、公園に行きたいと言った手前2人を置き去りにして帰ることはできなかった。
「もしアーニャのせいでジじじとバばばがもどらなかったら、ちちとははにおこられる…きっとアーニャもう一人でおるすばんさせてもらえなくなる。そしたらこっそりちちとははのおてつだいもできない!アーニャすぱいできなくなる!」
 そしたらきっとすぐせかいへいわおわる…と絶望した様子で目の前のベンチを見つめる。
終わらせないためには、ジークムントとバーバラを見つけ出し家に帰らなければならない。今日はクリスマス、きっとロイドもヨルも夕飯のパーティーまでには戻ってくるだろう。美味しいディナーもケーキも食べたい、となると…
「たいむりみっとはよるごはんまで…!」
 アーニャはまだ読めない公園の時計を見つめたあと、市場に向かって走り出した。

 


 廃ビルのとある一室、ロイドの足元には過激派のメンバーが転がっていた。
突入して5分で制圧し爆弾も確保できた。やはりハンドラーの予想通りほぼ素人同然の者が多く捕えることは容易だった。思ったより早く帰れるかもしれないと時計を確認する。
「ハッ、これで終わったと思ってるなら随分お花畑な脳みそだな、俺たちが捕まってもまだテロは続いている!」
 開き直ったかのように主張する過激派の一人を見下ろすロイドに、仲間の一人が耳打ちをした。
「なに、爆弾が足りないだと?」
「あぁ、偵察班が目撃した量と情報班が調べた裏ルートの爆弾の量は一致している。しかしここにある爆弾は約3分しかない」
「となると残りの爆弾は別のところにあるか、すでに仕掛けられたか」
 この男が余裕の表情を浮かべていたのがそのせいか。ロイドは男の髪をひっぱり壁に打ち付け、そのまま銃口を向けた。
「残りの爆弾のありかを言え、10秒だけ待ってやる」
「誰が言うかよ!例え殺されたって言わねぇ!こんな生ぬるい世界ぶっ壊しちまった方がいいんだよ!」
 パンッ!という銃声と共に男の悲鳴が響き、男の肩からは血がにじみ出ていた。
「殺しはしない、しかし殺してほしいと思わせることはできるぞ」
歯を食いしばった口から苦痛の叫びが漏れ出ているが、それでも男は口を割ろうとしなかった。
「俺たちは戦争を望んでるわけじゃない、でもこの国を恨んではいる!だからこの国を陸の孤島にし苦しめてやるんだ!その時虐げられるのは弱者だ!そして弱者が目を向けるのはこの国の中枢!自国の民から攻撃され転覆する様を見せてやる!アハハハハ!」
この男の意思は固い、このままここで待っても言う可能性は低いだろう。爆弾が仕掛けられている可能性を考えると悠長にしている時間はない。ロイドは他の者に尋問を任せ、仲間と共に残りの爆弾を探しに行く。
 しかし他のアジトを探しても爆弾は見つからなかった。ロイドは爆弾がすでにどこかに仕掛けられている可能性を示唆する。
「仕掛けられていると言っても東国<オスタニア>のどこに仕掛けられているか検討もつかない。探すにしてもこれでは埒が明かないな。尋問班から何か連絡はないのか」
「いやなにも、相手も結構頑固みたいだな」
 となると残りは相手の言動から読み解くしかない。敵メンバーの年齢、構成、これまでの行動パターンから思考を探る。
「アイツらの目的は戦争ではないと言っていたな、この国を恨んでいると…この国を陸の孤島に…まさか!交通網を破壊するつもりか⁉」
「どういうことだ?」
「奴らはここを陸の孤島にすると言っていた、つまり交通網を破壊し物理的に交流できなくさせようとしているんだ!となると爆弾は鉄道や主要な橋に仕掛けられている可能性が高い、情報班に奴らのこれまでの移動場所に駅や橋がないか調べさるんだ!俺たちは先に向かうぞ!」
 情報をもとに分析したが、もしこの推測が外れていたら大変なことになるな。まず間違いなく夕飯には間に合わない、アーニャとヨルさんには悪いことをしてしまうな…。
「ったく、クリスマスくらい大人しくしておけないのか」
 助手席に乗っている仲間は彩られた街中を見て思わず愚痴を吐いてしまう。
「クリスマスか…」
 それにつられるようにロイドもぽつりと声を漏らした。クリスマスは家族で過ごす大切な日、ずっと前からアーニャはすごく楽しみにしていた。パーティではチキンが食べたい、パイも食べたい、ビーフシチューも食べたいと、思いついたものを片っ端から言い苦笑したのを覚えている。
 今朝も珍しく早起きをしてパーティパーティとボンドとはしゃいでたな…。それがダメになたら、きっと駄々をこねてヨルさんを困らせるんだろうな、いやもしかしたら泣いてしまうかもしれない。子供を泣かせるなんて父親失格だな…。
 後日改めてパーティを催して機嫌を直してくれればいいが、あまりにショックを受けてグレてしまったり、このことを学校で言いふらされたりでもしたら…「なんてダメな父親なんだ!子供を悲しませるなんて父親失格だ!」と言われ、下手をすると二度とデズモンド家との対面を許されないかもしれない!
 あらゆるパターンを想定し、最悪のケースではこれまでの苦労が水の泡になり、オペレーションストリクス<梟>が頓挫するかもしれないと爆弾騒ぎ以上に焦る。
 アーニャを悲しませないためにも、オペレーションストリクス<梟>のためにも!必ず夕飯までに帰らなければ!

 


 絵画が飾られた廊下を進み突き当たった部屋には、中年太りした男性が机に向かって書類仕事をしているところだった。書類仕事に夢中になっているのか、それとも気配を消して忍び寄ったからか、まだ男性は部屋に入ってきた女性に気づいていない。
既に入ってしまったドアをコンコンと二回ノックすると、男性はよくやく顔を上げ、ドアの前に立っている見知らぬ女性に気が付いた。
「なんだお前は!いつの間に入ってきた!」
「さっきほどです。気づいていらっしゃらないようなのでノックしたのですが…」
 スーツを着た秘書が入ってくることはあっても、こんな露出した黒いドレスを来て執務室に入ってきたものなど過去には居なかった。
「何の用だ!秘書はどうした!」
「秘書さんならあちらで少し眠っていただきました。殺してはいないのでご安心ください」
「こ、殺すだと…」
 その言葉を聞き、ようやくこの女がただ者ではないということに気が付いた男性。どこかから差し向けられた殺し屋だということは想像がついた。急いで逃げようと目論むが、隙の無い立ち振る舞いをする目の前の女から逃げられるとは到底思えなかった。
「あなたが何をしたかは詳しくは知りません。しかしこの国に害を成すクソ野郎だと聞き及んでおります。ですので、その息の根、止めさせて頂きます」
 きらりとスティレットを構え獲物を見据えると、男性は慌ててヨルを制した。
「ま、待て!私が死んだら街に仕掛けた爆弾が爆発するぞ!」
「爆弾?」
「あぁ、過激派の連中がこの国を孤立させるために街のいたるところに爆弾を仕掛けた。爆破時間は決まっているが、私に万が一のことが起きたときにも爆破するように伝えてある。私との定時連絡が取れなかった途端、ドカンだ!」
 この方の言うことを真に受けてはなりませんが、しかしもしこれが本当だった場合、大変なことになってしまいます。
 このまま殺していいものかと少し考えた後、一息でターゲットの背後までジャンプしスティレットを男性の喉元に押し当てた。
「では爆破されないように対応してもらうしかありません。申し訳ありませんがもう少しお付き合いしていただきますね。まず過激派さんに連絡し爆破をやめるように伝えてください」
「そんなこと誰がするか!どうせその後私は殺されるんだ!」
 男は喉元にあてられたスティレットに恐怖はないのか、それとも恐怖でおかしくなったのか、喚き散らすように叫んだ。
「そうですか、ではどうすれば言う通りにしていただけますでしょう。あまり好きではありませんが、顔の皮を少しずつ剥ぎ取ったり、目玉や内臓を一つずつ取り出したり、時間をかけてゆっくり殺す方がいいでしょうか…」
 急いでいるのであまりこの方法は取りたくありませんが…と心の中でつぶやく。男性は顔を真っ青にすると先ほどの態度は一変した。
「わ、わかった!連絡を取るからそれだけは勘弁してくれぇ!爆破もさせないようにするから!他にもなんでも言うことを聞く!頼むから命だけは助けてくれ!」
 男性はすぐに受話器をとりどこかへ電話を掛けた。
「~~っ!なぜでない!一体何をしている!ほ、本当にこの番号なんだ!でもなぜか誰も出ないんだ!頼む信じてくれ!」
 嘘をついているようには見えませんが、となると困りました。この人を殺すことは簡単ですが、それでは爆弾の問題が解決しません。次の定時連絡を待ってその時に爆弾のありかを聞き出すか…しかしそれでは帰るのがいつになるかわかりません。まだ飾りつけのお花も買っていないのに…。
 男性のデスクの上の卓上のカレンダーと時計が置かれていた。この男にも何か予定があるのだろうか、今日の日にちに赤い丸が記されていた。
 クリスマスと言えば家族で過ごす大切なイベント。アーニャさんもとても楽しみにしていたので早く帰りたいのですが…。もしこの爆弾騒ぎが長引いてパーティに間に合わなかったらどうしましょう…私ったら母親失格です…。世間一般のお宅は知りませんが、もしかしてクリスマスパーティーに参加していない母親は秘密警察に逮捕されてしまったりするのでしょうか?あわわわ、大変です!そんなことになったらお仕事が続けられませんし、アーニャさんやロイドさんにもご迷惑をかけてしまいます!何が何でもお夕飯までに帰らなければなりません!
 ヨルがスティレットを強く握りなおすと、男に首から赤い血が一筋流れた。

 


 市場は夕飯の買い出しをする人たちでさっきより賑わっており、この人混みの中小さいアーニャが人を探し出すのは困難を極めた。
「すみません、このへんでジじじとバばばみませんでしたか」
「ん?おじいさんとおばあさんかい?んー沢山人が通るからね、ちょっとわかんないかな」
 何か特徴がわかればいいけど…と親切な店主は頭を悩ませる。特徴と言われてもただのジじじだし、ただのバばばだ。杖をついていたりメガネをかけているが、そんな老人なんてそこら辺にいる。
ちからつかってもジじじとバばばどこにいるかわかんない…みんなごはんのことばっかり。
バーバラの方はまだしも、ジークムントの方は若干行動が読めない節がある。もしかしたらもう家に帰ってるかもしれないと、アーニャは市場を探しながら自宅の方へ戻ることにした。
 するとその途中謎の人だかりを見つけた。耳を澄ませてみると何やら揉めているようだった。
「じいさん困るよ、金がないと売れないんだって」
「金ならバーさんが持ってる、ほらバーさん金を出してくれ」
「だからそのバーさんがどこにもいないじゃないか」
 ジじじいたーーー!
人だかりの中心にいたのは、お金がないのにチキンを買おうとしているジークムントだった。アーニャは人の間をすり抜けてジークムントの元までたどり着いた。
「おぉ、お嬢ちゃん、チキン食べるだろ?」
 アーニャの返答を待たずして店主にチキンを二つくれというが、また同じことを言われていた。
「ジじじ、バばばがいなくなった」
「なんだと!バーさん迷子か!こんなことしておれん、探しに行くぞ!」
 なんとかチキンのお店からジークムントを引きはがすことに成功したが、今度はズンズンと先へ歩いていってしまった。
「おーい、どこだバーさん、バーさん!」
「ジじじ、それごみばこ」
「バーさん!バーさんや!」
「ジじじ、つぼのなかにバばばいないとおもう」
 真面目に探しているのかいないのか、まったく見当違いの場所をふらふらと進んでしまいバーバラの捜索は難航した。
アーニャはジークムントに振り回されもうヘロヘロになっていると、急にジークムントは立ち止まった。
「腹減った、帰ろう」
「え!バばばさがさないのか⁉」
「きっとバーさんも腹を空かせて帰ってるかもしれない、ほらチキン食べたいし。そうだ、チキン買って行こう」
 ジじじおかねもってないからチキンかえなかったの、もうわすれてる!
アーニャはジークムントの物忘れのすごさにある意味凄いと驚愕した。その後行きに通ったチキンのお店の前までやってきた。このまま進めば市場は抜けられるという頃、アーニャはチキンのお店の前でバーバラを見つけた。
「ジじじ!バばばいた!」
「おー!愛しのバーバラ!もう会えないかと思ったぞ!」
「何言ってるんですか、ジーさんがいなくなったから探してたんですよ。ほらチキン買いましたからもう帰りましょう」
 これでやっと家に帰れると安堵したアーニャだったが、日はすでに傾き、夕飯の時間はジリジリと迫ってきていた。
「ジじじ、バばば!いそいでかえろう!」
「そんなに急いでチキンが食べたくなったのか?このチキンはやらんぞ」
「お腹すいたのかね、急いで帰ろうか」
 そういうバーバラだったが、歩くスピードは一向に速くならない。アーニャは今すぐにでも駆け出したい気持ちを持て余していた。
 ジじじとバばばあるくのおそい!これじゃおゆうはんにまにあわないかも!アーニャのパーティが!せかいへいわが!
 焦るアーニャは駆け足をしながらぐるぐると夫妻の周りをぐるぐると駆け回る。その姿を、元気だねえ言いながら夫妻はのほほんと歩いた。

 


 バーリンドに架かる主要の橋は二つ、ロイドたちはそのうちの一つの橋に来ていた。
 橋に爆弾を仕掛けたとなると目立たない橋の裏しかない。遠めだが、橋の支柱にそれらしいものを目視できた。予想が当たり少し安堵するが、問題は爆弾の撤去だ。こんな人目の多い時間帯に橋の下で何かしていたら下手すれば通報されてしまう。さらに今から船を用意して橋の下に入り込むとなると時間がかかる、その間に爆破されてしまう可能性もある。橋が爆破されると、橋を通過していう人たちの命ももちろんだが、物流に大きな影響を及ぼす。
「尋問班から連絡があった、どうやら爆弾の場所はお前さんの予想通りらしい。駅に向かった班からも爆発物を見つけたと連絡があった。しかし爆破時間は午後5時、あと40分しかないぞ」
 もしこの橋と同様に駅ともう一つの橋も破壊された場合、バーリンとは他所からの食料や物資を受けとれない。文字通り陸の孤島になったバーリントは、限られた物資を求めてパニックを起こすだろう。またここまで被害を及ぼした犯人が西国<ウィスタリス>側のものだと判断されてしまった場合、せっかく納まった戦火が再び燃え広がることになりかねない。
 絶対に避けねばならないとロイドは脳をフル回転させどうにかして迅速に爆弾を撤去できないかと考える。
あと40分では船が間に合わない、他に解体する方法は…。
「俺が橋から降下して爆弾を解体する」
 ロイドの言葉に一緒にいた仲間は困惑した。なんと橋から降下して支柱にハーケンひっかけ体を固定し、宙吊りのまま爆弾を解体するというのだ。
「そんな不安定な状態で解体できるわけがないだろう!それにハーケンで体を固定といっても仮止め程度だ、ちょっとした拍子に外れてしまったら解体に影響が出る!大人しく船が来るまで待つしかない!」
 仲間が止める気持ちはわかるが時間がないのだ。このまま船を待っている間に爆破してしまったら国の一大事。さらに夕食に間に合わなくなれば、それはオペレーションストリクス<梟>の一大事につながる、一か八かでもやるしかないのだ。
ロイドは仲間の静止を振り切り、車のトランクからハーネスを準備する。体に装着すると仲間と共に支柱の真上に当たるところまでやってきた。1人は降下を手伝い、もう1人は周囲を警戒しながら不振に思われないよう対処する役割だ。
ロイドは順調に降下し爆弾の目の前に到着した。ハーケンを柱に打ち付け体を軽く固定し、いよいよ爆弾と対面する。
「やはりこのタイプの爆弾か、解体はさほど難しくないがこの揺れのなか無事にできるか…」
 橋の下を風が吹き抜けロイドの体を揺らす、時折足で支柱を強くしがみつきどうにか作業を進めた。
 無事に爆弾を解体し終わり車へ戻ると、駅へ向かった班から爆弾を解体したと連絡があった。もう一つの橋の解体は時間がかかっているようだが、そちらは早く船が到着したので問題なく進みそうだという。また過激派のメンバーを尋問した結果どうやら雇った大物政治家の名前も吐かせたらしい。
 ロイドたちは無事に任務を終え報告のため本部へ戻ろうと車を走らせていたが、市場の辺りで急に車が止まった。ロイドはどうしたんだと運転していた仲間に問う。
「お前はここで降りろ。今日クリスマスだろ、夕飯がどうとか言ってたじゃねぇか、ハンドラーへの報告は俺たちがしておくからよ」
「しかしもしもう一方の橋の方で問題が起きたら…」
「その時は俺たちだけで対処する、それくらいお前さんがいなくても何とかなるわ。それに、ハンドラー風にいうなら、クリスマスパーティーも大事な任務だろ。その役目の変わりは居ないんだ」
「ありがとうございます。必ず任務を成し遂げてみせます」
 髭を生やした仲間は、さっさと行けと手をひらひらさせた。車を降りたロイドは時計を確認し、夕飯までの準備を逆算した。今から食材を買って自宅に戻り調理をする。ヨルさんとアーニャが待ちくたびれているだろうから遅刻はできない。過激派を捕え爆弾の処理すらも成し遂げた黄昏の、新たな任務が始まった。
 夕飯までは1時間と少し、食材の買い出しと調理に盛り付け、完璧に仕上げるには少し時間が足りないが、間に合わせてみせる!

 


 男の喉元から流れ出た血はワイシャツに付着し、醜く滲んでいた。
 しかし困りましたね、爆弾を仕掛けたという過激派の方々と連絡がつかないと、爆弾がどこに設置されていているのかわかりません。爆弾処理の方は私の仕事ではありませんが、アーニャさんやロイドさん、ユーリや街の人々に危険が及ぶことは避けたいです。この男を始末すればすぐにでもアーニャさんの元へ戻れるのに…とヨルは頭を悩ませていた。
「電話がつながらないんじゃどうしようもできない!頼む!命だけは見逃してくれ!」
「それがあなたの演技という可能性もありますよね。どちらにしても見逃すという選択肢はありません。苦しまず死ぬか、苦しんで死ぬかの二つです」
 男性はヨルの殺気にあてられ今にも失禁しそうだ。その時、ジリジリと電話が鳴り響き、男はヨルに促され電話に出た。
「も、もしもし…なに!拠点が潰されただと⁉メンバーも全員捕まった…お、おい!爆弾はどうなった!今すぐ爆破を中止しろ!時限爆弾だかなんだか知らんがいいからすべて回収しろ!いいな!」
 顔の皮を剝がされるのも、目玉をくりぬかれるのも、内臓を出されるのも絶対に嫌だ。責めて苦しまずに死にたいと、男性は必死に電話の主に言った。
「よくわからんが過激派のメンバーが捕まったらしい、残った奴に爆弾を止めるようには言ったからもう大丈夫だ!頼む!俺はここまでしたんだ!もういいだろう!」
 過激派のメンバーを捕えたのはガーデンでしょうか、それとも秘密警察?わかりませんが、この男は爆弾についてはなにも知らないようですしもう用済みですね。
 ヨルはカチャリとスティレットを構え直すと男性に向かって静かに答えた。
「はい、では約束通り苦しまないように殺して差し上げます」
 シュッと静かな音が聞こえたあと、勢いよく血しぶきが虹を描いた。
「背後から切ったので返り血はありませんね。さて、ガーデンに連絡をして、一応爆弾のことも報告しておきましょう。あ、大変です!もうこんな時間!アーニャさんをオーセン夫妻に預けたままですし、お花とケーキも買って行かないとです!アーニャさん待ちくたびれていますでしょうか」
良き妻として、良き母親として、この大切な家族で居続けるために。何としてもクリスマスパーティーに間に合わなければ!

 


 チキンのぬくもりを抱えながら、アーニャとオーセン夫妻はようやく家に帰ることができた。
「チキン美味しそうだな、暖かくてつやつやしてる…まるでバーバラの肌みたいだ」
「あらやだジーさんったら」
なんとかははもどってくるまえにかえってこれた…このふたりとでかけるのもうやめる。
 椅子に倒れ込むアーニャを見て、バーバラは思い出したようにキッチンへ向かった。
「そういえばおやつを食べ損ねていたわね、フォージャーさんがくれたお菓子を食べようか」
「バばば、アーニャココアがいい」
 お菓子と聞いて体を起こしたアーニャは、テーブルへ座ると我が物顔でバーバラにココアを頼んだ。しかしこの家にココアはなく、バーバラが紅茶でもいいかいと聞くと、ジークムントはココア買ってこようかなと再び玄関へ向かった。
 アーニャはこれ以上面倒ごとはごめんだと、急いでジークムントを止めた。
「アーニャみずでだいじょぶ!だからジじじはいえにいて!」
「そうか?それじゃ水を買ってこよう」
ジーさん、水なら買わなくてもありますから」
 いつもならお菓子にがっつくアーニャだが、あまりの疲労感にふぅ~とため息をつきオーセン夫妻と同じペースでゆっくりとお菓子を味わっていた。

 お菓子を食べ終わってあまり興味のないテレビを見ていたころ、訪問者を知らせるチャイムが鳴った。すぐにヨルだとわかったアーニャは、ははだ!と玄関まで走っていった。
「遅くなってすみませんアーニャさん、オーセン夫妻もありがとうございました」
「いいえ、とても楽しかったわ」
「これ、よろしければ召し上がってください」
ヨルは持っていた小さいほうの箱をバーバラに渡した。
「ケーキ!」
「何がお好きかわからなかったので、一番人気だというイチゴショートにしました」
「あらまぁ、お菓子までもらったのになんだか悪いわねぇ」
「バばばだけずるい!アーニャもケーキたべたい!」
「アーニャさんのぶんはこちらにありますから大丈夫ですよ」
 それを聞いたアーニャはすぐにでも帰ろうとヨルを催促する。
「ジじじとバばば、またな!」
「えぇ、またいつでも遊びに来てね」
「腹を出して寝るなよ」
「本当にありがとうございました。それでは失礼します」
アーニャとヨルが帰るのを見送ると、バーバラはキッチンへ向かった。
「どうしたんだバーさん、なんだか嬉しそうだな」
「えぇ、今日はとても素敵なクリスマスだと思いましてね。ジーさん、ケーキ食べます?」
「食べようかの」

 


 その少し前、フォージャー家のキッチンで奮闘している男がいた。
 昨日仕込んだ牛肉は両面をこんがりと焼いてビーフシチューに、チキンのローストはあと20分。その間にサラダの用意と前菜となる軽いつまみを何品か用意する。冷蔵庫に生ハムがあったのは昨日確認済みだ、それとさっき買ってきたトマトとチーズでカプレーゼを…。
 脳をフル回転させ、四肢を休むことなく動かし続けるフォージャー家のシェフ、いやロイドのだ。夕飯までに間に合うかどうかの勝負ではあったが、正直今の状況に安堵していた。なぜなら、ヨルとアーニャがいてはこんな並外れたスピードで調理しているところを見せられないからだ。
 あの時市場の前で下ろしてもらえて助かったな、あのまま本部へ行ってハンドラーに報告していたら完全に間に合わなかっただろう。しかしまだ油断はできない!あと10分ですべてを終わらせなければ!くそっ!チキンの焼きあがりは間に合うのか⁉落ち着け黄昏、ここで焦ってはミスにつながってしまう。前菜よし、サラダよし、ビーフシチューよし、チキンは焼けるのを待つだけで、ケーキはヨルさんが買ってきてくれることになっている。これで完璧じゃないか?…しまった!バゲッドを買い忘れている!なんてことだ!今から買いに行くか⁉いや今から行ってもこの時間じゃパン屋は閉まっているか売り切れているかもしれない!どうする!自分で焼くことは可能だが余計に時間がかかってしまう!あとバゲッドさえあればすべて完璧なのに!考えろ、そして決断するんだ黄昏!
……今から買いに行くしかない!
 身に着けていたエプロンを脱ぎ棄てると、ロイドは財布を握りしめ再び市場へと走って行った。

 


「ただいま戻りました」
「お帰りなさいヨルさん」
「ちちー!ケーキかってきた!」
ロイドは切り分けたバゲットを食卓に置き、帰ってきた二人を出迎えた。バゲッドを抱えて怪しまれない程度に速足に、人目がなくなった途端全力で走り、ほんの数分前に到着したところだ。
なんとか間に合った…急な呼び出しで過激派の爆破テロと聞いたときはどうなることかと思ったが、無事にクリスマスパーティにも間に合ったし、これで良き父親としての任務は完了だな。
「そうか、それじゃちょうど夕食もできたし、パーティを始めるとするか」
 ヨルはキッチンにケーキを置くと、持っていた花を花瓶に生け食卓に飾った。ケーキをもって走ってしまうときっと原型もとどめていないだろうし、お花もすべて散ってしまう。そのためケーキと花を買ってからは両方の安全を見ながら競歩で帰宅した。
なんとか間に合ってよかったです、これで私も普通の良き母親となれているでしょうか。とりあえず秘密警察に逮捕されずに済みそうですね。
 ばくはてろ⁉ひみつけいさつ⁉ちちとはは、なんだかすごいことしてきた⁉アーニャもジじじとバばばさがすのたいへんだったけど、ちゃんとみっしょんせいこうした。これでせかいのへいわはまもられた!かぞくみんなでクリスマスパーティ、アーニャうれしい!
「それでは、乾杯しましょうか」
「はい、メリークリスマス」
「めりーくりすます!」
カチン、とグラスを交えて乾杯の美酒を味わう、今日の怒涛の一日を思い出すと、酒も余計に美味しく感じるというものだ。
 今日一日の自分を労うとともに、ロイドとヨルは来年は絶対に仕事を入れないでもらおうと、固く決めた。

 

白雪姫と優秀な小人たち


 とある森に佇む小さなお城では、今日も娘を溺愛する継父の声が響いていました。

「白雪姫!僕の可愛い白雪姫!今日はこのドレスを着てごらん!」
「ですからユーリ、そう毎日新しい服ばかり買って来ないでください。まだ着られるお洋服は沢山あるのにお金がもったいないじゃないですか」
「何言ってるんだ!白雪姫は可愛いんだから!そんなこと気にしなくていいんだよ!」
白雪姫はまたかとため息をつきながら、毎日毎日可愛い服を着せようとしてくる継父に少々うんざりしていた。
可愛がってくれているのは大変嬉しいのが、継父は自分の服や城のことには無関心で、財という財をすべて白雪姫のためだけに使おうとしている。しかもそれだけに限らず、白雪姫のことを溺愛しすぎて城の中から一歩も外に出してくれなかった。
外に出たいと言えば、外には恐ろしい奴らがいる、白雪姫が攫われるかもしれないからと言われ、ここ十数年窓ごしの外の世界しか見たことがなかった。せめて庭にだけでもとお願いしても、美しい白雪姫を誰かに見せるわけにはいかないといい、それならばと城の中の一室に庭のような草花溢れる部屋を作ってしまうほどだった。
 その代わり、運動器具やトレーニンググッズなど、欲しいといったものは何でも買ってもらえたので特に不自由はしていなく、次第に外に出ることを諦めていた。

そんなある日、些細なことで継父と白雪姫は言い争いをしていた。
「どうして聞き分けてくれないんだ白雪姫!君のためなんだよ!」
「本当は私のダメではなく、ユーリのためなんじゃないですか⁉」
 怒りでカッとなっていたため、つい強い口調で言ってしまったことにハッとしたが、図星をつかれたようなユーリの顔を見て、やはりそうなのかと少しばかり落胆した。
「もうユーリなんて知りません!」
 と叫ぶと、二階の窓から身を投げ外に飛び出していった。
 待ってくれ白雪姫―!という継父の叫び声を聞きながら、とても姫とは思えないスピードで森の中へ走り去って行った。

 森に来たのは小さい頃以来だったが、薄っすらとその時の記憶が残っていた。
この辺にお気に入りの大きな木があってよく木登りをした。ここには母が好きだと言っていたお花が咲いていたはず。昔の思い出とともに森を散策していると辺りが薄暗くなってきたことに気付いた。
もう少ししたら雨が降り出すかもしれない、勢いで出てきてしまったため水も食べ物もなく、雨をしのげる当てだってない。小雨なら木陰でも大丈夫かもしれないが、雨の量によってはずぶ濡れになるだろう。どこか雨宿りできるところをと小走りで森の奥へと進んでいくと、少し先に小さな小屋を見つけた。あそこで雨宿りさせてもらおうと向かっているとついに雨がぽつぽつと降り出してきた。
 少しペースを上げて走っていると、突然弓矢が顔の横を掠めた。
驚いて矢が飛んできた方を見ると木に弓が仕掛けられていた。辺りに人影はなく、この弓は自動的に放たれたものだろう推測した。
弓のことは気になったが、雨の方が気がかりだったのでそのまま足を進めると、今度は先ほどと同じ矢が連続して白雪姫を襲った。驚くほどの動体視力で矢を避け、時には手で捉え、ホッとしたのもつかの間、今度は落とし穴や爆弾が白雪姫の行く手を阻みなかなか前へ足を進めさせてくれなかった。
 「これはこの森の遊び場か何かでしょうか?子供が遊ぶにはかなり過激なものだと思いますが…」
 これを罠だと思っていない白雪姫はその後も弓矢や爆弾を越えてゆき、小屋の前に着くころにはびしょ濡れになっていた。

 白雪姫は小屋のドアをノックし声をかけた。
「あのーすみません、どなたかいらっしゃいますでしょうか」
 無言の返事が住人の不在を知らせ、白雪姫はこの雨の中どうしようかと踵を返した。
 このまま軒先に居たら住人が帰ってきたときに不審に思うかもしれないし、だからと言って他に雨宿りできそうなところもない…、これは大人しく家に帰れということなのかと空を見上げた。
 すると背後でギィとドアの開く音が聞こえた。驚いて振り返ると短髪のブロンドヘアの小人…いや男が立っていた。
「あ、あのすみません!実は今この雨に困っておりまして、雨が止むまで雨宿りさせていただけないでしょうか」
「……その前に聞きたいことがある、お前、ここまでの罠をどうやって交わしてきた」
「罠?」
 罠とは何のことかと男性に尋ねると、弓矢や落とし穴がなかったかと問われた。
「あぁ!あれのことですか。あれは罠だったのですか?私はてっきり子供の遊び場か何かと…」
 白雪姫の言葉に、あれを遊び場だと思うなんてどんな過激な遊びをしていたんだ⁉と男は顔色を一切変えることなく驚愕していた。
「どうやってと言われましても、こう普通に避けたとしか…」
あの罠を普通に避けた⁉ あれは迎撃用に仕掛けた罠で難易度はAだぞ!それをこの女はかすり傷一つ付けずに突破しただと⁉ その話が本当なら驚くべき身体能力だ!と驚愕し、男はほんの少しだけ眉を動かした。
 すると家の中からもう1人、オレンジがかった赤いロングヘアの小人が現れた。
「ふっ、実に面白い話だ。どうだろう、家に入ってもっと話を聞かせてくれないか」
「いいのですか⁉ ありがとうございます!」
「ハンドラー、もう少し警戒するべきだ」
「別に構わん。あの罠を潜り抜けたきたんだろう?もし敵ならここで追い返したとしてもまた仕掛けてくるだけだ」
 男の方は白雪姫が家に入ることを快く思っていないようで、不服そうな男の目を横目に白雪姫はどうぞと開けられたドアを通って行った。

 家の中はかなり散らかっている様子で、先ほどの弓矢や爆弾、他にも用途がわからない粉や、書類のような紙が散乱していた。
 生活感…という感じはあまりしなく、どちらかというと仕事場というような印象だ。
「しらないおんなのひと!おまえだれだ?」
 ピンク髪の少女が白雪姫目掛けて走ってきた。少し遅れて隣には白いモフモフとした毛の犬もやってきた。
「初めまして、私は白雪姫と申します。雨が止むまで少しばかりお邪魔させていただきます」
「ひめ!すごい!ほんもののひめはじめてみた!アーニャはアーニャ!こいつはボンド!」
 アーニャと名乗る少女は白雪姫に自己紹介をすると、白雪姫の話を聞きたがった。
「少し落ち着きたまえアーニャ嬢。白雪姫…といったかな、私はハンドラー。雨宿りさせた恩とは言わないが、私にも君の話を聞かせてくれないか?」
 先ほどの男や少女の様子を見るからに、このハンドラーと名乗る女がこの家の主だろうか。白雪姫は継父とケンカをして家を出てきたことを話した。いい年した女がケンカして家出なんて、馬鹿らしいと思われるだろうかと少し恥ずかしくなった。
「ふむ、なるほどな。随分君を溺愛していたようだけど…となると少し心配だ」
「何が心配なのでしょう」
「もしかしたら君を追ってくるのではないだろうか。家に閉じ込めるほど可愛がっていた君が出て行ったんだ、ケンカしたとはいえ、きっと血眼になって探しているだろう」
 小さな小人たちの家には大きなテーブルがあり、そこにハンドラーと白雪姫、アーニャとボンド、ドアを開けてくれた男性、そしてその隣には切れ長の目をしたショートカットの女性が座っていた。
「確かにその可能性はありますね。面倒ごとはごめんですから、やはりこの女を追い出しましょう」
男性の隣に座っていた女性は白雪姫を敵視していることを隠そうともしていない様子だ
「そうですよね…雨宿りをさせていただいたうえに、これ以上皆さんにご迷惑はかけられません」
 そういって立ち上がろうとした白雪姫をハンドラーが止めた。
「やめるんだ夜帳、彼女を招いたのは私の判断だ。白雪姫、私は君を迷惑などと思っていない、君には素質があるからね、是非欲しい人材だ」
 人材とはどういうことだろうか…と白雪姫が首をかしげているのをお構いなしに話をつづけた。
「君が家に帰ることを拒み、ここに残ることを希望するなら、我々は手を貸そう。継父には悪いが、もし君を連れ戻しに来たその時はお帰りいただくしかない」
「帰ってもらうと言ってもどうやって…」
「なぁに、先ほどのように小屋の周辺に迎撃用の罠を仕掛けるのさ。あとは情報部隊を数人を送り込む」
 なるほどと感心した白雪姫だったが、少し考える様子を見せた。
「あの…先ほどのげいげきよう?の罠のことですが…恐らくあの程度ではユーリに突破されてしまいます」
「なるほど、君もあの罠を軽々と通り抜けたと聞いたが、継父も侮れないようだな。よし、罠の難易度を最高レベルのSに引き上げる!夜帳は罠の準備に、フランキーは情報収集、黄昏は私と共に作戦会議だ。ターゲットは早ければ今日中にもやってくるだろう、皆準備を急げよ」

 すると奥の部屋に居たモジャモジャ頭の男性が大きな伸びをしながら歩いてきた。
「あーめんどくさいけど綺麗なレディのためなら頑張るかー。よう、よろしくなお姫さん」
軽く手を挙げて挨拶をすると、何やら大きな機械のようなものを背中に背負いそのまま外へ出て行ってしまった。
白雪姫も作戦会議に参加するように命じられ椅子に座ると、その隣には先ほどの男性が。
「あの、よろしくお願いします…黄昏さん、とお呼びすればいいでしょうか」
「黄昏はコードネームですから、気軽にロイドと呼んでください」
 先ほどの玄関先での鋭い印象が嘘のように消え、今は少しだけ柔らかい雰囲気を感じた。
「はい、ロイドさん。私のこともヨルと呼んでください」
「わかりました。ヨルさん、先ほどは失礼な態度をとってしまい申し訳ない」
「そんな、お気になさらないでください!突然やってきた私が悪いんですから!ロイドさんはここにいる皆さんを守るためにそうしたんですよね。すごく優しい方だと思います」
「俺が優しい?…そんな風に言われたのは初めてです。なんだかヨルさんは不思議な方ですね」
 ロイドと名乗る男性は意外にも紳士的で、これが本来の表情なのだろうかと整った顔を見つめた。
「なんだ、そういう女がタイプだったのか」
ハンドラーはニヤリと口角をあげ、あからさまにロイドをからかっているようだ。
「誰がそんな幼稚な手にのるんですか。まぁ少なくともうちには悪魔のような上司は居てもこんな優しい人はいませんからね」
「ほう、ではお望み通り本当に悪魔に思えるほどこき使ってやろう」
自分のせいでケンカになってしまうとオロオロしていると、背後から目をキラキラと輝かせたアーニャとボンドがやってきた。
「ねぇアーニャは!アーニャはなにしたらいい?」
「んーそうだな…アーニャ嬢は待機だ。いざという時のために体力を温存しておいてくれ」
「それじゃアーニャつまらん」
 不服そうな表情をするアーニャにロイドは厳しい目を向けた。
「我儘を言うんじゃない。そもそも罠の仕掛けは仕掛けるどころか発動させてしまうし、情報収集なんて高度なこともできない、食料や弾薬の在庫管理だっていつも間違えるじゃないか、邪魔になるからあっちでおとなしくしていろ」
「いーやーだーー!アーニャもたたかいたい!てきをやっつけたいーー!」
「1秒と持たずにやられるぞ」
 ぐうの音もでないほど言い返されたアーニャは涙目でわーーー!と叫びながら奥のソファで暴れ、いつの間にか寝てしまった。
「まったく、せっかく私がオブラートに包んでやったというのに」
「ハンドラーはアーニャに甘いんですよ。いいから作戦会議を始めましょう」
「そうだな、ではまず相手の情報だ、継父の特徴、身体能力、癖や好き嫌い、他にも敵となりうる協力者はいるか…」
「最悪の想定ですが、もし迎撃用の罠で撃退できなかった場合は俺と夜帳で応戦します」
 どんどんと話が進んでいく様子を見て、この人たちは一体何者なのかと疑問に思う。これだけ沢山の武器を持っていたり、罠や情報部隊という言葉からも、どうも戦いに慣れているように見えた。
「あの、みなさんは一体何者なんでしょうか…あ、すみません!私この森から出たことがないのでわからないのですが、こういうのが一般的なのでしょうか」
「アハハハハ、これが一般的だったら相当物騒な世の中だな。そうだな、君には教えよう。私たちはここにいるメンバーの他にあと2人…全部で7人と一匹の犬で構成されたメンバーだ。表面上はただの森の番人だが、国のあらゆる仕事を生業としている組織『WISE』だ。君さえよければ新規の人材も受け付けているぞ」
 大した事ではないようにいうハンドラーだが、もしかして自分はものすごい人たちに助けを求めてしまったのではと驚きを隠せなかった。

 翌日、白雪姫がアーニャと遊んでいると大きな爆発音がした。
「ばくはつ⁉」
ドカンという轟音と地響きは立て続けに聞こえ、その音は段々近づいてきた。怯えるアーニャとボンドを白雪姫が強く抱きしめているとロイドは窓からその様子を伺った。
「やはり付近の罠が作動しているようですね。鳴りやまないところからすると、相手はこの罠を潜り抜けてこちらに近づいてきているようです」
「ふむ、難易度Sの罠を越えてくるか…もしかすると噂の継父がお出ましになったのではないか」
「ユーリが⁉」
 昨日からまだ1日程度で自分がここにいると探りあったのかと驚くが、あのユーリなら可能性は十分にある。白雪姫はすぐそこまで来ているかもしれない継父の存在に息をのむ。
「一応確認するが、相手の出方次第では戦闘になることを心得ておいてくれ。まぁ我々も無抵抗な一般人に手を出したりしないさ。よし、全員迎撃態勢に入れ!絶対にこちらからは手を出すなよ!」
 表に立ってくれるロイドや夜帳のことも心配だったが、自分を追ってきているユーリのことも心配でないと言えば噓になる。
「安心してくださいヨルさん、貴方のことは俺が守りますから」
「ありがとうございます。ロイドさんも無理はしないでくださいね。私、みなさんに怪我をしてほしくありません」
 下手をすれば戦いになるというのに怪我をしてほしくないなんて、この人はどれだけ穏やかな世界で生きてきたのだろう。ロイドは白雪姫へ向けているこの感情が今まで感じたことのない気持ちだということは理解できていた。胸がざわつくような、しかし暖かいような…。的確な言葉が見つからない。
 不安そうな顔をした白雪姫を安心させるように頭をポンと触ると、武装した夜帳と共に外へ向かった。
ユーリ以外の男性に触れられたことがない白雪姫は、顔をリンゴのように真っ赤にさせていた。

 轟音が近づくにつれて、もし本当にユーリだったらどうしようと考えていた。ユーリは何をしに来たのか、きっと私を連れ戻しにきたのだろう、戻ったらまたあの城から出れない生活が待っているのか…。しかしこの人たちに迷惑をかけてまで逃げるのはどうなのだろう。
そんな不安を読み取られてしまったのか、白雪姫の腕の中にいるアーニャは笑顔で言った。
「しんぱいしなくてもだいじょぶ!みんなすごいつよい!いざというときは、さいしゅうへーき、アーニャとボンドがいる!」
「ボフッ!」
「ふふ、ありがとうございますアーニャさん、ボンドさん」

 轟音が鳴りやんだ。敵がやられた……のではなく、最悪の想定通り、難易度Sの罠をすべて突破してきたのだ。
「どこの誰か知らんがそこをどけ、お前たちに用は無い。俺が探しているのは美しくて愛らしくて目に入れても全然痛くない可憐な白雪姫だ!」
「この男、想像以上の溺愛っぷりですね。どうしますか、軽く足でも使えなくしましょうか」
「待て、こちらから手を出すなと言われているだろう」
 白雪姫のようにかすり傷一つ付けていないというわけではなく、思いっきり頭から血を流して腕には矢が刺さったままだったが、そんな傷なんともないように振る舞ってる目の前の継父にロイドはただ者ではないと警戒した。
「その中に白雪姫がいるんだろう、隠したって匂いでわかる!こっちは寝ずに探し回ったしもう22時間も白雪姫に触れられてないんだ!死活問題なんだからな!!それともまさか白雪姫が可愛いからってお前らが誘拐して監禁したんじゃないだろうな⁉それは立派な犯罪だぞ!」
 匂いでわかるとかキモっ!城に軟禁していたお前がいうなよ。とツッコミたいのを我慢していた夜帳だが、できれば先輩の周りの女は排除したいためわざと負けてこいつに白雪姫を連れて帰ってもらおうかと画策していた。
「それは誤解だ、白雪姫は自らの意思でここに来た。君とケンカしたと言ってね」
「お前の言葉など信用できるか!白雪姫を出せ!さもないと貴様ら二人とも処刑してやる!」
 どうやら穏便に話し合いでは済まないようだなと臨戦態勢に入るロイド、それを察知した夜帳も同じく臨戦態勢をとる。
「大人しく退けば命は取らないでやろうと思ったのに、バカな奴らだ」
 やっぱり先輩をバカ呼ばわりしたしたこいつは生かしておかない、と夜帳は半歩踏み出す。頭上の木が風で揺れ、木漏れ日が両者の間を遮るように射す。風が止み木漏れ日が消えた時には、両者のこぶしがぶつかっていた。いや、正確には夜帳のナイフをユーリが素手で受け止めていた。
「刃物を振り回すなって教わらなかったのか?」
「ゴミに向けてはいけないと教わった覚えは無いわ」
ナイフと素手での攻防が続き、両者の力は互角に思えたが、ユーリの死角にはロイドが回り込んでいた。

 ロイドは死角からユーリを狙うが、ユーリは右足でロイドの腹部を蹴り飛ばしそれを防いだ。両手は夜帳のナイフを防いでおきながら死角からの攻撃を軸足である右足で防ぐなんて、一体どういう身体構造をしているんだと素直に驚いた。
 夜帳はナイフを素早く動かし、相手との距離を開けさせないように攻める。ユーリは相手がナイフということもあってか、防戦するだけで精一杯。反撃の隙を狙っていたが、そんな隙を与えてはくれなかった。
 ロイドはサイドから弓矢を放ち夜帳に加勢する。ユーリは夜帳に押されているせいでどんどん小屋から離れてしまった。
早くこいつらを片付けないと!このナイフ女と少し距離を取れればなんとかなるが、あのすかした野郎がそれを邪魔しやがる!先にあの男を片付けるか!
ユーリは夜帳が予想していた軌道から大きく外れロイドの元へ走った。しまった!と慌ててユーリの後を追う夜帳をロイドは声を荒げて制した。
「ダメだ夜帳!!」
 なんのことかと気づいたときには、ユーリのこぶしが顎に直撃していた。グラグラと視界が揺れ動き、ロイドの姿が視界の端でにじむ。
ドサッと音を立てて倒れた夜帳を助けたいが、この男をどうにかしなければならない。
「仲間を助けようなんて思うから隙を突かれるんだ。大事なものは一つだけでいい、自分の手で守れるものだけでいいんだ」
 確かにこいつの言うことも間違ってはいない。仲間がいることでもメリットデメリットはある。大切なものが多いほどすべてを守ることは難しくなってしまう。そうして守れずに手からこぼれ落ちてしまったものはどうなるんだ…それがわかっていながらも、抱えきれないほどのものを守りたいと思うのは傲慢なのだろうか。

 「外の様子が気になるか?」
ハンドラーに声をかけられ、いつの間にか窓に近づこうとしていたことに気づきハッとした。
「はい…本当にユーリがすぐそこまで来ているのですね…そしてロイドさんも夜帳さんも私のために戦っている…」
 自分の事なのに、自分の行動のせいでみんなを巻き込んでしまっているのに、こんな安全圏で1人じっとしていることがもどかしかった。外に出たところで自分に何ができるかなんてわからない、もしかしたらそのままユーリに連れていかれてしまうかもしれない。
 ここで守られる覚悟もなく、立ち向かう勇気もない。中途半端な気持ちのせいで座ることも進むことも出来ず、ただ立ち尽くしていた。
「君がそれを望んだんじゃないのか?」
「そう…です。でも、守られるというのはこんなにも辛いんですね…」
「そうか、そう感じられるのは、君にはその力があるからじゃないのか?自分本位で非力なものはそんな風に思わない」
「でも、外に出たからと言って私に何ができるのか…」
 もしかしたらこの人には私の心が透けて見えているのかもしれない。それなら私の中にある本当に望んでいる答えを引きずり出してほしい。
「そんなことやってみなければわからんだろう」
「え?」
「外に出てただ見ているだけなのか、それとも戦いの邪魔になってしまうか、それとも心変わりして継父の元へ戻るか…そんなの予知能力でもない限りわからん。ただ確実なのは、動かなければ何も得られまい」
「動かなければ…」
 その言葉がすっと私の心に入り、まるで足りなかったピースのようにピタリとはまるようだった。
「私、外に出ます!出てユーリを止めます!」

 正直なところ夜帳と自分がいればなんとかなると思っていたのだが、夜帳が倒れてしまったうえに、敵の強さが酔想像以上だった。あれほど過信するなといつも言い聞かせているのに、何たるざまだ。自分が一人でこいつを倒せるか、もしダメだったヨルさんはどうなる、ハンドラーは次の手を考えているのだろうか。
 「おい、戦闘中に考え事とは余裕だな」
 油断したつもりはなかった。しかしその一瞬の隙を相手が見逃すわけもなく、しまった!と思った次の瞬間には、強烈な右ストレートが左肩を捕えていた。ジンジンとした痺れを感じ、一発の重みが半端ではない。すぐに次の攻撃が来ると急いで右手でガードするが、左肩が先ほどより動きが鈍くなってしまっているぶんバランスを崩してしまった。
「ガハッ!」
「せん…ぱい…!」
 夜帳の意識はまだ朦朧としており、ロイドを助けたい気持ちはあるが動くことはできなかった。動かない体に必死に力を入れ、ロイドを殴りつけたユーリを亡き者にしようと睨みつける。
ユーリはそんな夜帳を知ってか知らずか、再び立ち上がったロイドを鼻で笑った。
「ハッ!二人がかりでこんなもんとは大した事ないな。さっさとそこをどけ」
「それはできない…俺はあの人に約束したんだ、俺が守ると。あの人の平穏を守りたい、あの人の大切なものを守りたい、できれば俺の手で…そう思ってしまったんだ」
「っ!お前のような奴が白雪姫を守れるわけがない!ていうか守らせない!白雪姫を守るのは僕なんだ!僕が永遠に守るんだ!」
「ユーリ!!」
声のした方へ目を向けると、黒く美しい髪をなびかせた白雪姫が立っており、その目に溜められた涙は今にもこぼれそうだった。
 ロイドさん、夜帳さん…私を守るためにと出ていかれたのに、こんなことになるなんて…私のせい、私のせいで…。私がこの方たちに頼らなければ、私は我儘を言ってあの家を飛び出していなければ、こんなことにはならかったのに…。
「白雪姫!よかった!無事だったんだね!どこか怪我はしてない?こいつらに酷いことされたんじゃない?待っててね、今こいつらを倒すから!」
 先ほどまでの殺気が嘘のように満面の笑みを浮かべたかと思うと、倒れているロイドにトドメをさそうと足を大きく振り上げた。
「やめてユーリ!この人たちは私の大切な人たちです!」
「な、なんでなんだ白雪姫!こんな低俗な奴を庇うなんて!まさか脅されているのか⁉くそっ!どこまでも卑怯な奴らめ!」
「ち、ちが…!違いますユーリ!」
 涙を流しながら必死に叫ぶが、何を言ったらいいのか、何を言えばいいのか、悲しみや後悔、罪悪感、いろんな感情が混ざり合い、上手く言葉が出てこなかった。
白雪姫の後につられて出てきたアーニャとボンドは、そんな白雪姫の足をつんつんとすると、だいじょぶ!アーニャおうえんするます!と笑顔を見せた。
「はい…!ありがとうございます!」
 手のひらで涙をゴシゴシと拭い、大きく息を吸い気持ちを落ち着かせると、夜帳とロイドの元へ駆け寄った。

「夜帳さん、大丈夫ですか!どこかお怪我は⁉」
「アンタ…なんで…」
「怪我した人を放ってはおけません。こんなにボロボロになるまで無茶をして…」
 白雪姫は夜帳を抱き上げるように起こし、木に寄りかかるように座らせた。
「ごめんなさい、私のせいで…」
「そうよ…アンタが来たせいで先輩が…私はアンタを許さないから」
 “許さない”それは自分に向けられて当然の言葉だと思った。自分がもっと早く外に出ていれば、2人がこうなる前に止められたかもしれない。後悔してももう遅いが、今は後ろ向きな気持ではなかった。 “遅かった”だからこそ、今自分にできることをするためにここにいるのだ。
 白雪姫は夜帳の応急処置を済ませると、ロイドの元へ向かった。
「ロイドさん大丈夫ですか、私に掴まってください」
「し、白雪姫、さっきから何してるんだ…なんでそいつらのこと助けてるんだよ」
 ユーリは震える声で白雪姫に尋ねるが、まるで聞こえていないのか返答はなかった。
「白雪姫が僕のことを無視する!なんで!ねぇなんで⁉まさか反抗期なの⁉それとも僕が追いかけてきたから⁉まだあの事怒ってるの⁉いやだぁ!いやだよぉぉ‼僕が悪かったから!全部僕が悪いから!お願いだから無視するのはやめてぇ!物理で殴られるより心にくるよぉぉぉおおお‼」
 いい歳した大人が泣き叫ぶ姿があまりにも哀れだったのか、ロイドはそっと白雪姫を促した。
「ありがとうございますヨルさん、俺はもう大丈夫ですから。彼に言うために出てきたんですよね」
「はい、アーニャさんにもボンドさんにも、ハンドラーさんにも背中を押していただきましたから、私はもう逃げません」
 そういうと白雪姫は立ち上がりユーリと対面した。
「ユーリ、勝手に家を出てしまってごめんなさい」
「白雪姫!よかった、わかってくれたんだね!じゃ今すぐーー」
「でも私はあの窮屈な暮らしが嫌だったんです。ずっと城の中に閉じ込められたままで、散歩にも行けなくて」
「そ、それは…」
 それは白雪姫のため…といつもなら言っていたが、もうその言葉は通用しないのだろうと悟り言葉に詰まってしまった。
「それは、ユーリの愛情だったんですよね。ユーリが私のことをとても大切に思っていてくれたこと、ちゃんとわかっていますよ。私だってユーリのことが大切ですから。でもあの生活は私には息が詰まってしまうのです」
「それなら今度から散歩してもいいから!毎日僕と一緒に散歩しよう!他にも不満があるならなんでも言って!白雪姫のためならなんだってするよ!」
「ありがとうユーリ」
 自分のためにとこれだけ言ってくれるその気持ちが嬉しかった。今まで抑圧されていたこともあるが、これならあの城でも楽しく過ごせるのではないかと、素直にそう思えた。このままユーリと一緒に戻って今まで通り一緒に過ごす。それが私の望んでいた未来だった。
 ことの発端となってしまった自分が言えたことではないが、自分のせいで誰かが傷つくのは見ていられない。ここの人たちにも沢山迷惑をかけてしまったから、できるだけのお詫びをしないといけない。自分を招いてくれたハンドラーさん、一緒にいて勇気づけてくれたアーニャさんとボンドさん、私のためにと戦ってくれた夜帳さんとロイドさんにも…。

 ロイドに視線を向けると、その青い瞳も白雪姫を見ていた。何か言いたげな表情だが、それを言葉に出してしまうことを躊躇っているような。
白雪姫はその瞳に笑顔を向けた。もちろん心が読めるわけでもないので何を言いたいのかはわからない。しかし不思議なことに、なんとなくわかった気がしてしまった。それは直感ではなく、もしかしたらそう思っていてほしいという自分の願望かもしれない。言ってくれないのであれば正解なんてわかるわけないが、それでもこの自分の気持ちはもう変わらない。誰になんといわれようと、自分の本当の気持ちに気付いてしまったのだ。
「ユーリ、私はもう自分のことは自分で決められます。だから家を出ます、家を出て、この家で皆さんと暮らしたいんです」
「な、何言ってるんだ白雪姫、出ていくって…しかもこいつらと暮らすなんて」
「わーい!しらゆきひめといっしょ、アーニャうれしい!」
「ボフッ!ボフッ!」
「ふむ、いい戦力になりそうだからな、私は構わんよ」
「そんなの絶対にダメだ!こんな野蛮人たちと関わっちゃいけない!やっぱり力づくでも白雪姫を連れて帰るべきだ!」
 取り乱したユーリは白雪姫の腕を強く掴んだが、ロイドがその腕を掴み制した。
「放せこの野郎!僕は白雪姫を連れて帰るんだ!こんなところにいるから白雪姫がおかしくなったんだ!」
「放すのはお前の方だ、お前はヨルさんの気持ちを尊重しないのか」
「白雪姫はお前らに洗脳されてるに違いない!だから僕が助けるんだ!」
「ユーリ、私の目を見てください、私は洗脳なんてされていません。だってこんなにユーリのこが好きなんですよ」
 大好きな白雪姫にそう言われてしまってはもう何も言えないと、不服そうだが言葉を飲み込んだ。そんなユーリから視線をロイドにうつし、白雪姫は真っ直ぐ青い瞳を見つめた。
「ロイドさん、私もここで一緒に暮らしてもいいでしょうか」
「ハンドラーが認めているなら、俺はその指示に従うだけです」
「いいえ、私は黄昏さんではなくロイドさんに聞いているのです。私を招き入れてくださったのはハンドラーさんですが、私を守ると言ってくださったのはロイドさんです。私はそんなロイドさんを素敵だと思いました。だから…ロイドさんとこれからも一緒に居られたらと…」
 リンゴよりも紅く美しい瞳の前でその申し出を断れる者はいるのだろうか。それとも昨日から感じているこの胸の暖かさや鼓動の速さと何か関係しているのだろうか。この気持ちが何なのかはわからないが、今の心境ならきっとこの言葉がぴったりなのではないか。
 “俺はこの美しい紅い瞳と漆黒の髪をなびかせる彼女に魅了された”
 もちろんそんなこと言葉にするつもりはないが、自分の素直な気持ちをほんの少しだけなら言ってもいいのだろう、今は黄昏ではなくロイドなのだから。

「はい、俺もヨルさんにここにいてほしいです。ヨルさんがいると明るくなりますし、きっと楽しくなると思います」
「ありがとうございます、これからよろしくお願いします」
「待て待て!白雪姫がここに住むなら僕もここに住む!それにお前!さっきから白雪姫を馴れ馴れしく名前で呼ぶんじゃない!僕だって呼んでないのに!」
「悪いが君は許可できない。信頼に足るだけの要素がみられないからな」
「ていうか私はまだあの女を認めてはいませんけど」

 こんな感じで、とりあえず白雪姫は森の番人“WISE”の仲間として加わることができた。
 ハンドラーの見立て通り白雪姫は即戦力として活躍し、ロイドや夜帳と肩を並べるほどだった。また母のようなその優しさからアーニャとボンドはすぐに白雪姫に懐き、情報部隊兼発明家というフランキーともすぐに打ち解けた。時折夜帳とバトルを勃発させることもあるが、こうして白雪姫は仲良くくらしました。
めでたしめでたし。

 

それから数日後、小屋には再びあの轟音が響いてきた。
「白雪姫!会いに来たよ!」
「はぁ~、毎日毎日会いに来るのやめてくれないか。そのたびに罠を仕掛け直さないといけなんだが」
 ロイドは招いてもいない客人を怪訝な目で対応する。
「だったら僕もここに住まわせればいいだろ!」
「それはダメだ」
 毎日こんなやり取りをしているためロイドは食い気味で断るが、もちろんそんなことはお構いなしに小屋へ入っていくユーリ。白雪姫―!と笑顔で手を振るが向こうはそれどころではなかった。
「ちょっと!だからなんでそうなるのよ!もうアンタ2度と料理しないで!」
「ふぇぇ、すみませーん!」
「まただーくまたーができてしまった…」
「ボフゥ…」
 そんな光景を眺めていたハンドラーは、うちもだいぶ賑やかになったものだな、とポツリと呟いた。自分でも気づかぬうちに言葉を発してしまったことにハッとすると、ほんの少しだけ口角が上がっていることに気付いた。ふふっと笑ったところをロイドに目撃されてしまった。
「ハンドラーが笑った…不気味だ…」
「何が不気味だ。黄昏とそこのお前、白雪姫が作った食事をちゃんと処理しておけよ」
「なっ…!」
「白雪姫のご飯⁉やったー!」
 それはもはや死刑宣告と同様の言葉を意味することをこの数日間で思い知っていた。
「昨日よりはうまくできたと思うのですが…」
 白雪姫はおずおずと自らが調理した黒い何かを2人の前に差し出した。喜んで食べようとするユーリと、真っ青な顔をして食べようとするロイドを助けようと、私が食べます!と夜帳は料理を自分の元へ引き寄せる。
 食べた2人がどうなったかは詳しく語れないが、それはまるで毒のようだったらしい。

『トドメの一撃』MVモチーフ企画 ~船での出来事~

 

sistern@SHkzmさん主催の黄いばif・ロイヨル企画の参加作品です。
スパイファミリーのED『トドメの一撃』のMVと歌詞をモチーフにして、その世界観を書かせていただきました。

 

#TMT_cruise_night」から辿って、他の方の素敵な作品も是非読んでみてください。

 

 

 

     ♢     ♢     ♢  

 


 煌びやかな内装に洗練された一流のスタッフたち。プールや劇場、カジノまで供えられた世界有数の豪華客船に乗るなんて一生に一度だってあることじゃない。もちろん乗り込む客だって一流。不動産や上場企業のオーナー、資産家に医者や売人など。そんな人たちに紛れて、海風が心地よいテラスからこの景色を一望する。

 

 乗り込んだ時は資産家と名乗っているのでこの豪華な部屋も遠慮なく使えるけど、残念ながらそれも一時に過ぎない。
 今回の仕事はこの豪華客船に乗り込んでいるターゲットの暗殺。私は歌手として変装し、ターゲットを確認、または接触するため、そこの床に転がっている男性の服を今から剥ぎ取る必要がある。

 

 あぁ、この男性はショーで歌う予定だった歌手ですけど、先ほど私の部屋に呼び出し交代してもらいました。もちろん交渉する余地はなかったので、失礼ですけど少し強引にさせていただきました。

 

「そろそろ支度しないとですね」

 もう少し心地よいこの風に当たっていたかったけど仕方がないとテラスを離れ、男性が着ていた服に着替え始めた。最後にジャケットとサングラスも拝借し、クローゼットの隅に隠されていたターゲットの指示書を取り出し高級なソファにゆったりと座りながら中身を確認する。

 1人目はショーン・マイク、表向きは大企業の社長だが、裏ではマフィアに通じており巨額の投資しているらしい。2人目はジョセフ・ベルネット、不動産オーナーで売人と通じている。3人目、ベイリー・アーデン、医者。4人目、ビッツ・ケネリー、5人目、6人目とターゲットの写真をめくっていくと、最後の一枚に写っていたのは私の恋人だった。

 

 正確に言うと恋人だった人。この船に乗る前、休暇で過ごしたあの街で出会った、私の束の間の恋人。
 どうして貴方の写真がここに…。よく見ると名前は違う、もしかしたら似ているだけの人かもと思ったけど、あの人の顔を見間違えたりしない。やっぱり私の愛したあの人だった。
貴方は今頃あの街にいるのでは?またあのカフェでモーニングを食べたり、新聞を読んだりしているのではないの?だからこんな船に乗っているわけがない…。
 心が締め付けられるような感覚に胸が痛くなった。嘘であってほしいと強く願っても、写真の隅にシワがつくだけで、彼の表情は何も変わらなかった。

 

 彼と過ごしたのは2ヶ月にも満たない、それでも確かに私とあの人は恋人でした。
私みたいな人間が抱いていい感情ではない、一時の気持ちに身を委ねてはいけない、恋なんて身を滅ぼすだけの愚かなもの、時期が来ればこの街を去らなければならない、次に会える保障なんてない。そんなことわかっています。それでもこの気持ちを止められなかった私は、この休暇中だけと自分の中で期限を付け一時の恋情に溺れた。
 彼の手が私の頬に触れるたびに願った、この時間が永遠に続いてほしいと。彼の腕に抱かれながら願った、夜が明けないでほしいと。だから私は祈った、何度も、何度も。彼の背中の傷を見ないふりをして…。

 

 ターゲットの写真を灰皿の上で燃やす。音もたてずに、写真だったものは灰になって消えていく。
神様も意地の悪い…あんなに願ったのにこんな形で再開させるなんて。これも日頃の行いが悪いからか、それともこれも運命なのか。

 

 彼は一体何者なの?
 私は彼を殺さなくてはいけません。
 私にそれができるの?
 私は殺し屋です。
 彼を愛していたのに?
 命令は絶対です。
 それでも嫌だと言ったら?
 私を殺すまでです。

 

 写真がすべて灰になったことを確認して立ち上がる。髪を整えて、サングラスを付ける。ショーまでにはまだ時間はあるけど、計画や下準備などやることは沢山あるから。ドアへ向かう途中に一度だけ振り返り灰の山を見た。
 結局どんなに祈りあった未来でも、貴方と私の道は違うのですね。
 窓から入ってきた心地よい海風は、燃えた焦げ臭い匂いを外へ運んでくれた。

 

 今回のターゲットは全部で8人。スポットライトが当てられたステージは少々眩しかったけど、サングラスがいい仕事をしてくれたおかげでターゲットの顔もよく見える。
1人目のショーン・マイク、2人目のジョセフ・ベルネット、3人目、4人目とターゲットを確認し、8人目の彼は最前列に座っていた。
 久ぶりに見る彼の顔は、少し雰囲気が違っていたけどあの時のままだった。私だけに向けてくれた優しい表情こそ見れないものの、その眼鏡の奥に潜む瞳をよく覚えている。
 テンポのいい音楽が流れ始める。歌って、踊って、すべての視線は私に注がれる。注目を集める必要がある。だからその明かりは邪魔なの、と男を指差し吸っていた葉巻の火を消す。

 

 この先どれだけの困難が待っているのか。明るい道を歩けるとは限らない、きっとすぐ闇の中。
歩いても歩いても続く道を、私は一人で歩いて行く。でももし、そんな私のまえに小さな希望が現れたら?それは綺麗な金色の光の粉で、私の周りを明るく照らしてくれる。
すごく綺麗、これなら暗い道でも安心して歩ける…なんて、きっと私のちっぽけな魂なんて見透かされているのでしょう。
 それなら、手のひらいっぱいに金の粉を集めて、この先もずっと照らしてくれるように、空に光の矢を放ってやりましょう。そうすれば、もう1人じゃなくなるかもしれないから。

 

 リズムに身を任せ、もう必要ないとサングラスを外す。あの人が私の目を見つめた。しっかりと私の瞳を捕えて、じっと胸の奥まで見られているみたい。私も彼の瞳から目を離さない、もう私だとバレているだろうけど、そんなことどうでもよかった。
 彼に会えただけで、彼の顔を見れただけで、彼と見つめあうことができただけで……この胸の高ぶりがそれを証明していた。

 

 “さぁ、終わりを始めましょう”

 

 静かにウィッグを取り、手のひらに集めた光の粉を矢にして空に放つ。それを合図にあちこちで爆発が起こった。観客たちはパニックになり我先にと逃げ惑う。

 

 本来ならターゲットが複数でも一人一人確実に殺していく、それが私のやり方。しかしこの陸から孤立した船内で人が殺されたなんて騒ぎになったら船内は当面封鎖。劇やショー、プールといった場所もすべて使用禁止になるでしょう。そんななかで8人も仕留めるのはなかなか骨が折れそう、だから船ごと爆破する計画を立てた。沢山考えたけどそれしか方法がなかった。
 関係のない方には悪いですが、どうせここにいる大半は裏社会の人間ばかりだと聞いたので、まぁ問題ないでしょう。
 私も生きて帰れるかわかりませんが、それだけ本気なのです。本気でターゲットを、あの人を殺します。 
 きっと私の本当の姿に彼は驚くでしょう。隠していたことを怒るでしょうか。
 確かに私には秘密がありました。でも、彼との関係は偽りなんかじゃなかった。

 鳴り止まない爆音、崩れ落ちる瓦礫、ゆらゆらと踊るシャンデリア、人々の悲鳴は共鳴にすら聞こえる。誰かのバッグやハイヒールが床に転がり、人間の醜悪さを凝縮したような地獄絵図がまさに描かれているこのショー劇場で、私と彼だけが別世界にいた。
 彼は私の目を見つめ真っ直ぐこちらに近づいてくる。私も彼から目を逸らさず見つめ返す。
それは怒りでもなく、落胆でもなく…ただ優しく見つめるいつもの彼の瞳だった。
 こっちにきて、もっと…あの日海辺を歩いたときみたいに手を繋いで。
 彼は差し出した私の手を取る。久しぶりに触れた彼の手はあの時と変わらず暖かかった。すべての神経がそこに注がれ、彼の手から伝わる体温と鼓動が体中をぞくぞくと震わせた。その感覚だけが、これが夢じゃないと示してくれている唯一のものだった。

 

 目を見つめるとあの日のことを思い出す。やっぱり、祈りあった未来とは違う道になりましたねって、きっと彼も私と同じことを思っている。この人を殺すなんて私にはできない、やっぱりやめときます。だからせめて今日の夜は隣に居させて、今夜だけは私に守らせて。
 そして今日の夜が明けたなら、あのカフェテラスで待ち合わせしましょう。またサンドイッチでも食べながらくだらない話をして笑いたい。
 もしそれが叶ったのなら、明日の夜も守れるように、こっちにきてもっと。
 そうしたらもっと一緒に居られるから。
 この先長い長い道でも、貴方となら歩いて行ける、だから私に守らせて。
 彼に吸い込まれるように自然と距離が近くなる。
 今なら彼を確実に殺すことができるし、彼も私を殺すことができる。
 例え今彼に殺されたとしても何も文句はない。
 彼のメガネが私の頬にあたり、少しだけ金属的な冷たさを感じた。それすらも懐かしいと思え、一瞬体が震えた。
 船内の騒音や爆音すら私たちの再開を祝う花火のようだった。